インタビュー
アメリカでの生活に再び溶け込む (英語)
(英語) ロサンゼルスに住んでいるいとこ達は全員おじに育てられました。おじは家族中心の多少厳しい日本的なやり方で子供を育てました。ですから兄弟と私がロサンゼルスに行った時、すんなりと家族に溶け込むことができました。彼らは私達を本当の家族のように受け入れてくれました。おかげで私はカルチャーショックを受けることはありませんでした。また当時アメリカでは「Freedom(自由)」と言う言葉がさかんに使われ、強調されていましたが、私には占領軍で働いていた時すでにその感覚が心の中にしみ込んでいたので、アメリカに来ても「言論の自由」や何とかの「自由」と聞いても特に驚くことはありませんでした。私は(アメリカでの生活に)溶け込めていたと思います。
日付: 2008年6月17日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ジャニス・タナカ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
Explore More Videos
両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)
沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)
家計を助けるために砂糖きび畑で働いた10代の頃の経験 (英語)
沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)
10代のサトウキビ畑で働いた経験が、スポーツ選手としてのトレーニングに役立つ
沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)