ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1460/

イタリア人の気前のよさ(英語)

(英語)イタリア人は本当ににぎやかでした。言葉があまりよく分からなくても、彼らが言わんとすることは完璧に理解できるんですね。イタリアの人たちはワインや食べ物をとても気前よく分けてくれました。本当に心温まる体験でした。ある夏の暑い日、行進していると沿道の農民か町の人たちが、水差しに入ったワインを手渡してくれました。私たちはそれをごくごく飲みました。地元の人たちに歓迎されていることを知り、本当に心が和みました。彼らはいつも「Tedeschi portate via」、つまり「ドイツ人に奪われた」と言っていました。本当にそうだったのでしょう。でも戦争ですから、ドイツ人は奪うためにそこに来ていたわけですね。


第442連隊戦闘団 軍隊 (armed forces) ドイツ人 イタリア人 軍隊 退役軍人 (retired military personnel) アメリカ陸軍 退役軍人 ワイン 第二次世界大戦

日付: 2015年1月3日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: リリー・アン・Y・ウェルティ・タマイ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ススム・“スス”・イトウ氏は、日本人移民のソウヘイとヒサヨ夫妻の子として1919年カリフォルニア州ストックトンで生まれました。イトウ家は、コミュニティの多くの日系アメリカ人と同様に小作農としてセロリやテンサイ、アスパラを作り生計を立てていました。スス・イトウは慎ましい暮らしの中で育ちました。

1940年、イトウ氏はアメリカが第二次世界大戦に参戦する前に21歳で徴兵されました。最初はカリフォルニア州リバーサイド近くのハーン基地で需品運搬用トラックや専用車の維持を行う多人種混合ユニットに配属されました。戦時中は人種隔離部隊である第442連隊戦闘団傘下の第552砲兵大隊に所属し、砲兵C中隊で中尉を務めました。その間家族はアーカンソー州ローワー収容所に強制収容されていました。第二次世界大戦後、イトウ氏は復員兵援護法を利用し大学で生物を学び、生物学と胎生学で博士号を取得しました。イトウ氏は自身の研究分野の先駆者となり、1960年にはハーバード大学医学部で教職に就き、1991年以来名誉教授を務めています。

イトウ氏は、2015年9月、96歳で亡くなりました。(2015年9月)

藤間勘須磨

戦中は隣人にホテルビジネスを預け収容所へ (英語)

日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)

フレッド・ササキ

第二次大戦中の排日感情(英語)

カナダの一世ビジネスマン(1918年生)

児玉良一

戦時中に取り上げられた運転手としての仕事

笠戸丸移民

アイコ・ヨシナガ・ハージック

政治権力の欠如が収容所の一因(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

シズコ・カドグチ

東へ移住か渡日かの選択(英語)

日系カナダ人二世。池坊トロント支部を設立。(1920年生)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

囚人のように思えた収容所生活(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

制度化されたシステムの悪影響(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

アイコ・ヨシナガ・ハージック

日系人収容者の取り扱いに対する懸念を表す公文書(英語)

研究者、活動家(1924-2018年)

フランク・ソギ

1941年12月7日の記憶(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

戦後日本行きを志願(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

MISで出会った本土からの日系人(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

当時の収容所に対する認識(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フランク・ソギ

アメリカ占領下の日本(英語)

弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)

フレッド・コレマツ

犯人探し (英語)

大統領令9066の合憲性に抗議(1919-2005年)

フレッド・コレマツ

最終判決 (英語)

大統領令9066の合憲性に抗議(1919-2005年)