インタビュー
日本にいるからこそ果たせる自分の役割
まぁちょうど30年経ってアルゼンチンに帰りたい、またはアルゼンチンでまた再スタートしたいという気持ちはないですね。多分日本にいる事で日本の中で自分の役割をこれからも果たす、またはこれからも自分の役割を探して行くのが一番良いのではないかと思っていて、その方がいろいろ還元できるのではないかと思っていますね。
でも僕から実は南米のアルゼンチンで生まれ育った人間ですという事はどこかでやっぱり伝えますし、それがやっぱり特徴であり、それをずっと自分の軸にしているわけですよ。でも相手は驚くかもしれないけれども、それに対して今度は相手も接してくる、または相手は何かを求めてくるわけですよね。それがやっぱり、また自分の(話が)戻りますけれども、役割だと思うわけです。よくみんな、架け橋とか、いろいろ凄く素晴らしい言葉を言いますけれども、非常にやっぱりその、国、文化、言葉っていうのをうまく繋ぐというのは非常に労力のいる仕事であってですね、神経も非常に使うわけですよ。だから単なる言葉とか国だけの繋ぎだけではなく、考え方、思惑、それから時にはやっぱり利害関係というのも関わって来ますので、そういう面では気をつけています。
日付: 2019年9月22日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 西村 陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)