インタビュー
真珠湾攻撃で中断された大学生活(英語)
(英語)人生の中でこれほどショックを受けたことはありませんでした。(真珠湾攻撃の第一報が入った)その時私はシェリーロス寮というオレゴン大学の寮にいました。私は階段を降りて行きラジオを聞きました。当時はテレビなどありません、あるのはラジオだけです。友達やクラスメートは私に何と言っていいのかわからず、皆静まりかえっていました。本当にひどい体験でした。でも2人の友達が私のところにやって来て、私を抱きしめ「サム、君は敵なんかじゃないってことは僕達がわかっているから」と言ってくれたことで、張り詰めていた空気が緩みました。
1942年のオレゴン大学の話になりますが、せめてスプリングターム(春学期)―オレゴン大学はセメスター制(2学期制)ではなく、ターム制(3学期制)なので―だけでも終えるように、私は学生達の中心となって主張しました。私は(大学の)総長のところへ行き、私達がスプリングタームを終えられるようデウィット中将に掛け合って欲しいと頼むと、総長は「できません。それは愛国心にとても反する行為ですから」と言うのです。これは衝撃的でした。だから私は今ではオレゴン大学をサポートしないのです。そして結局私達はスプリングタームを終えることができませんでした。
日付: 2005年12月8日
場所: 米国、オレゴン州
インタビュアー: アケミ・キクムラ・ヤノ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
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