https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/545/
ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。
(英語) ジョージ(・アベ)が僕らのグループにいたことはすごく重要でした。彼の父親は琵琶の先生で、ジョージは日本音楽と共に育ったんです。だから彼のリズムセンスも日本的で、最初の頃はそれがとても顕著でしたね。今の太鼓グループは、アフロ・キューバン系の演奏するのがほとんどですが、それは僕らが育った環境がそうだからです。日本の音楽に全く触れずに育ったんです。だからアメリカ人の太鼓を聴けば、音と音の合間は埋め尽くされ、スピードがとても早く、音もすごく大きくて、完全に聞き分けられるんです。
一方で、日本の太鼓のリズムのバリエーションは限られていて、音の合間にもゆとりがある感じなんです。日本の音楽は、メロディーが基盤となってできていて、ジョージはそういう伝統から来ているんです。そしてそれに合わせて僕がお経を読むんです。僕らが一緒に演奏をし始めたころ、阿弥陀経を演奏したんです。それぞれの拍子ごとに演奏すると音が自然に融合していくんですよ。そしてそれをさらに区切って、それぞれの拍子をつないだんです。
初めそれはとても日本的だったのですが、今は三世や四世の時代ですから、よりアフロ・キューバン的になってきました。アメリカ音楽の影響ですね。時代が進むにつれて、ますます日本的な要素は失われていくと思います。だからここにきて僕らは、子供たちにそういった違いを知ってほしいので、日本の音楽やアジア音楽にもっと触れさせようとしているんです。
日付: 2004年12月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
マサオ・コダニ開教使は浄土真宗の三世の僧侶で、アメリカで2番目に結成された初の日系アメリカ人仏教徒による太鼓グループ、緊那羅(きんなら)太鼓の共同創設者です。
コダニ開教使はカリフォルニア州グレンデールで生まれ、第2次世界大戦中はポストンの強制収容所に家族とともに収容されました。戦後、彼の家族はロサンゼルスへ戻り、ワッツと呼ばれるアフリカ系アメリカ人の多い地域へ住みました。彼の家族は仏教徒でしたが、彼の両親は子供たちが社会に簡単に馴染めるようにと東ロサンゼルスのエバグリーン・バプティスト教会へ通わせました。 コダニ氏はセンテニアル高校を卒業後、カリフォルニア大学サンタバーバラ校へ進学し、東アジア研究の学位を取得しました。在学中、西本願寺のアート・タケモト開教使と親密になり、彼の影響を受け、仏教を勉強するために日本の龍谷大学へ留学をしました。日本で学業を終えた後、アメリカへ戻り、サウスセントラルロサンゼルスの洗心仏教寺に配属されました。 1969年、さまざまな経験を通して、法楽、すなわち仏陀・達磨を楽しむことを目的に、日系アメリカ人仏教徒による組太鼓グループ緊那羅太鼓をお寺のメンバーとともに結成しました。彼らの曲『阿修羅』はアメリカの太鼓レパートリーの中で最もよく使われる練習曲のひとつです。(2004年12月3日)
アーティストとしての役割(英語)
ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)
太鼓から感じる力強さ(英語)
サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督
自己表現としての太鼓(英語)
多様なメンバーを持つサンノゼ太鼓(英語)
日系アメリカ人の太鼓を日本へ(英語)
イギリスの太鼓グループ:グローバル太鼓コミュニティの形成(英語)
オリジナルの太鼓の型を発展(英語)
サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)
バンクーバーに太鼓を紹介(英語)
太鼓演奏の哲学(英語)
太鼓奏者の定義(英語)
ミュージシャンか僧侶かの選択 (英語)
音楽家、芸術家、教育者(1949年生)
自分たちで生み出した日系アメリカ人太鼓 (英語)
日本の太鼓とは違う日系太鼓 (英語)
女性の太鼓奏者 (英語)
両親に反対された太鼓奏者としての道 (英語)