https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/587/
サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)
(英語)僕らが太鼓を始めた頃は、きちんとした型に基づいてやっていた訳ではないし、衣装もありませんでした。キッコーマン醤油の法被にベルボトムのズボンを履いて、頭は長髪、そんな風貌でやっていたんですよ。田中誠一さんが、御諏訪太鼓や大江戸助六太鼓のやり方を通して、太鼓の型や形式を初めて僕らに教えてくれたんです。だからそれが、僕らの主だった型になった訳です。そしてその型を基に、自分たちの太鼓を発展させていくことができました。
鬼太鼓座は1970年代半ば、確か1975年か76年にはツアーを始めていて、彼らに会うことができたんですね。サンノゼにも来たんですよ。1977年か78年頃だったと思いますが、鬼太鼓座はしばらくの間サンノゼに滞在していました。それで僕らは、鬼太鼓座の演奏を見たり、彼らから学ぶことができたんですね。
でも実際は、鬼太鼓座の演奏の型は我々のとは全く違っていました。演奏形態そのものについて言えば、真似したいと思う程僕らの興味や関心を引くものではなかったのですが、彼らの音楽との向き合い方や、共同体としてのグループの運営方法にはとても興味を覚えました。彼らの哲学は、僕らの目指していたものと同じでありながら、でもそのレベルは全く別の次元にあって、僕らはそういうことにすごく関心を持ったんです。太鼓演奏には、奏者全員の参加が必要です。だから僕らも、そういう哲学をサンノゼでも実行しようとしていたんです。鬼太鼓座との出会いによって、僕らのグループにもそれは可能だろう、という思いが強くなりましたね。僕らは、鬼太鼓座のやり方を自分たちのグループに合うよう修正して、独自のスタイルに変えていかなければなりませんでした。
日付: 2005年1月26日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
ロイ・ヒラバヤシ氏はサンノゼ太鼓の支配人であり、グループの創設者の一人です。1951年、カリフォルニア州バークレイで帰米の両親のもとに生まれました。彼は5人兄弟の真ん中で、カリフォルニア州オークランドで育ちました。1969年に高校を卒業した彼は、サンノゼ州立大学へ進学し、心理学と哲学を専攻しました。
彼ははサンノゼ州立大学のアジア系アメリカ人研究プログラム、全米日系人市民協会(JACL)、パシフィック・アジアン・コーリション、アメリカ仏教会などでも働いていました。彼が太鼓を始めたきっかけは仏教青年会(YBA)の活動でした。サンノゼ仏教会の開教使ヒロシ・アビコが緊那羅(きんなら)太鼓の演奏を聴いたあと、若い世代のために何か始めるべきではないかと話を持ちかけられ、太鼓グループを立ち上げたのです。以来、サンノゼ太鼓はアメリカでもっとも影響力のある太鼓グループのひとつに成長しました。(2005年1月26日)
開拓精神へ捧げる(英語)
新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)
和太鼓へのアメリカの影響(英語)
ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。
環境を反映する太鼓音楽(英語)
伝統的音楽「雅楽」を演奏することによって形成されたアイデンティティ(英語)
自己表現としての太鼓(英語)
サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督
イギリスの太鼓グループ:グローバル太鼓コミュニティの形成(英語)
日本の太鼓とは違う日系太鼓 (英語)
音楽家、芸術家、教育者(1949年生)
両親に反対された太鼓奏者としての道 (英語)
音の海原・胎内に轟く太鼓の音 (英語)
太鼓・尺八奏者(1944生)
緊那羅太鼓の誕生 (英語)
太鼓演奏の仲間達 (英語)
太鼓を極限まで追及 (英語)
日本への影響 (英語)
日系アメリカ人の太鼓 (英語)