https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/731/
音楽家、芸術家、教育者(1949年生)
(英語) 両親は僕が何をしているのか知らなかったし、見当もつかなかったようです。太鼓を始めた頃、僕はまだ実家に住んでいて、両親に「何をやってるの?」なんて聞かれましたね。最初は、「なんでアメラジアっていう本屋さんなんかで働いてるの?」なんて聞かれました。お金を稼ぐこともないまま、今度は太鼓を始めたので、「太鼓なんて叩いてどうするの?お金なんて稼げないんでしょ、何かちゃんとした仕事に就きなさい」と言われました。その後ヒロシマというバンドで一緒に演奏を始めた後も、「ちゃんとした仕事を見つけたら?そんな事でどうやってお金を稼ぐの?」なんて言われました。両親はそんなことを色々言いつつも、心配していたんですね。なんとかしてやりたいと思っていたんでしょうね。僕のことを助けたいと思いながら、どうしたらいいか分からなかったようです。
その頃の僕の廻りには何のツテらしいものも無く、音楽活動について相談できる人もいませんでした。「どうすれば音楽の世界に入っていけるだろう?どうすれば人前で演奏できるようになるんだろう?どうすれば、プロのミュージシャンとして稼いでいけるんだろう?いったい僕らは何をすればいいんだ?どうすれば取っ掛かりが掴めるんだ?」という疑問ばかりで、全く五里霧中って状態でした。全く未知の世界に入って行くような感覚でしたから、両親も随分心配してましたね。でも、今では多くの人が太鼓を見に来てくれるようになったから、ずいぶんやり易くなってますね。
日付: 2004年10月15日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
ジョン・ユキオ“ジョニー”・モリ氏はロサンゼルス出身の音楽家、芸術家、教育者兼役員です。
1949年11月30日、日系一世の父と日系二世の母の間に生まれ、若い頃は、活動家、徴兵反対者であり、1970年代のアジア系アメリカ人運動ではかなり問題を起こした人物でした。更に(同時期)、ロサンゼルスのリトル東京でアメラジア・ブックストアを経営していました。この書店は、共同書籍販売を行うだけでなく、コミュニティの集会や、政治活動、パフォーミング・アートを行う場でもありました。そして2003年に引退するまで、ジャズ・フージョンバンドHIROSHIMAのパーカッショニスト(打楽器・和太鼓奏者)として世界各国を周りました。
モリ氏は、全米初の日系アメリカ人太鼓グループの1つである緊那羅(きんなら)太鼓の主要メンバーであり、過去20年間に渡り、太鼓や日系アメリカ人文化を、小学校から大学の生徒までの幅広い層に、ワークショップを通じて教えてきました。現在は、ロサンゼルスの日米文化会館(JACCC)でパフォーミング・アートのプロデューサーを務めています。(2007年6月13日)
太鼓演奏の仲間達 (英語)
太鼓・尺八奏者(1944生)
太鼓を極限まで追及 (英語)
日本への影響 (英語)
日系アメリカ人の太鼓 (英語)
尺八よ有難う (英語)
「晴れ舞台」
演歌歌手(1981年生)
演歌歌手になることを夢見て(英語)
ファッションとアイデンティティ(英語)
人種や伝統を超えて、人は夢を追うべき(英語)
自分らしく歌うためのスタイル
アメリカでの初コンサート
政府に対するアニメーション(英語)
(1933-2014) 日系アメリカ人アニメーター
いつも絵を描いていた (英語)
カーデザイナー、ラリー・シノダの姉
エド・サリヴァンの「ザ・オールネイビー・ショ-」への出演(英語)
ハワイ出身のウクレレ奏者(1934年生)
『Song for Anna』(英語)