https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/734/
音楽家、芸術家、教育者(1949年生)
(英語) それから僕らは東京からフィリピンに行ったんですね。当時のマルコス大統領が退陣する少し前、1981年のことでした。世界一安全な国から飛行機に乗ってフィリピンへ向かったわけです。飛行機を降りると、タラップの下に、機関銃を持った男性が2人立っていました。それに日本では雪が降っていたのに、フィリピンはとても暑くて、「なんだか違いが極端だ」と思いました。気候だけではなくて、環境も全く違っていました。2月にはローマ法王が来るということで、戒厳令を解くところだったらしいんですが、それで世の中がどのような状態になるか、マルコスとしては予測できなかったんでしょうね。武装した護衛兵がそこら中にいたのは、その理由からなんですね。
その時は知らなかったのですが、フィリピンでは『ホリデイ』という曲が当時人気一番で、ロック音楽は禁止されていたんだそうです。ポップ音楽やジャズが一部認められていたんだけど、僕らの音楽はジャズと見なされていたんですね。空港に降り立ったら、すぐに車に乗せられて町中をパレードすることになったのですが、僕らが来ているということで、人々は外に出て大声で叫んだり、歓声を上げたりしていました。
日付: 2004年10月15日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
ジョン・ユキオ“ジョニー”・モリ氏はロサンゼルス出身の音楽家、芸術家、教育者兼役員です。
1949年11月30日、日系一世の父と日系二世の母の間に生まれ、若い頃は、活動家、徴兵反対者であり、1970年代のアジア系アメリカ人運動ではかなり問題を起こした人物でした。更に(同時期)、ロサンゼルスのリトル東京でアメラジア・ブックストアを経営していました。この書店は、共同書籍販売を行うだけでなく、コミュニティの集会や、政治活動、パフォーミング・アートを行う場でもありました。そして2003年に引退するまで、ジャズ・フージョンバンドHIROSHIMAのパーカッショニスト(打楽器・和太鼓奏者)として世界各国を周りました。
モリ氏は、全米初の日系アメリカ人太鼓グループの1つである緊那羅(きんなら)太鼓の主要メンバーであり、過去20年間に渡り、太鼓や日系アメリカ人文化を、小学校から大学の生徒までの幅広い層に、ワークショップを通じて教えてきました。現在は、ロサンゼルスの日米文化会館(JACCC)でパフォーミング・アートのプロデューサーを務めています。(2007年6月13日)
緊那羅太鼓とサンフランシスコ太鼓道場の違い(英語)
和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)
伝統からの脱却(英語)
非太鼓グループとの共演(英語)
桜祭りでの太鼓演奏の欠如(英語)
新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)
アメリカで太鼓を始めた理由(英語)
緊那羅太鼓との出会い(英語)
太鼓とはっぴ(英語)
タイア道場(英語)
伝統的太鼓スタイル(英語)
開拓精神へ捧げる(英語)
日本の音楽教育(英語)
アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)
夢-「太鼓」が英語の辞書に(英語)
太鼓リズムの変化-日本的なもからアフロ・キューバンへ(英語)
ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。
田中先生と緊那羅太鼓の「太鼓」に対する考え方の違い(英語)