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ブラジル日系移民の母 (1900-1996)
メンバーは救済会が始まって、私なんかの仕事が始まってリセンサ(免許)をもらったメンバーは宮越千葉太さん、支店長ね。それから、石原桂三さん、常盤ホテルのご主人、それから高橋勝さん、会計士の人で、私と4人でございました。それ以上は教会で許さなかったんです。教会の使いとして。それだけが仕事始まったわけなんです。そしてリセンサが6月の3日にいよいよ発券した警察命令を医師としてもらったリセンサ(許可)が6月3日に出で、それから正式に始まったわけなんです。 その次の朝、リセンサ(許可)ができた次の朝、朝はもううちのポルタ(玄関)に8時から刑事が来て待ってました。3日間私の後をついて、本当はね、慈善事業をしておるかってことをみてくれて、3日目に笑って別れました。そういうあれで、あの仕事がだんだん始まりまして、そこへ結核者がみえたり、キチガイが見えたり、孤児が見えたり、貧困者の方が見えたりして、そしてどういうふうにこの人たちを手伝っていいかわからないってすると、そのお金を、家賃を払うお金でもやったり、そして生活のお金をやると、その奥さん方がご主人を中へプレズ(刑務所)の中に入ってますから、奥さん方がみなその時はよく盛んでしたビショ(博打)をかけるのが。ビショにかけてもマーケットに行くっていうんで、買い物もできなくなった。それでいけないからと思いまして、3つのところへ、ピニェイロス(Pinheiros)の食料品を売るところと、コンデの角とビラ・マリアナの3つの店に、切符制度にしましたの。タウン(クーポン)制度にね。私のもらいに来て、そしてあの1家族に1か月分の生活の食料品を渡すことになりまして。それを持って各店に、近いところの店に行って、そしてもらってくる。そしてお金は一切持たせないようにして、薬なんかこっちで買って、家賃はこっちで払うようにしまして、そういうふうに戦争中面倒見てきました。月終いに私が行って、コンタを払ってですね、そういう風に戦争中の間面倒見てきました。
日付:
場所: ブラジル
提供: Caminho da memória - 遥かなるみちのり. São Paulo, Brazil: Comissão de Elaboração da História dos 80 Anos de Imigração Japonesa no Brasil, 1998. VHS.
「日系移民の母」として知られるマルガリーダ・トミ渡辺(旧姓:池上)は1900年鹿児島県に生まれました。10歳の時、近所の家族がブラジルに移民することを知り、一家の負担を軽くするためにとブラジル行きを決意しました。1912年3月「神奈川丸」にてサントス港に到着し、すでにブラジル入りしていた叔父の下へ身を寄せました。まもなくしてフランス系の医師の一家へ家庭奉公として引き取られました。が、親子のようにかわいがられ、18歳の時にマルガリーダという洗礼名を授かりました。1928年に日本人初の公認会計士である渡辺氏と結婚しました。
第2次大戦中は、日本人ゆえに拘束、検挙される同胞を目にし、同じ敵性国民という難しい立場であるにもかかわらず、救済活動を行うことを決意し、1942年6月には「カトリック日本人救済会」を発足しました。戦後も社会奉仕の活動を続けており、1958年、日系人を対象にした老人ホーム「憩いの園」を開園。現在でも一世の老人ホームとして健在です。1996年95歳にて亡くなりました。
彼女の半世紀にわたる社会福祉における貢献に対し、吉川英治文化賞(1992年)や朝日社会福祉賞(1993年)などさまざまな賞が送られています。(2007年6月22日)
ユタ州トパーズの砂塵(英語)
第二次世界大戦中トパーズに強制収容された日系三世。受賞歴のあるディズニーアニメーター(1934年生)
収容所での母(英語)
成功しなければならなかった(英語)
第二次世界大戦・朝鮮戦争の退役軍人 (1919 - 2006)
才能をもった第100歩兵大隊の人たち(英語)
「沈黙の合意」(英語)
第442連隊の補償への貢献(英語)
マンザナ収容所での思い出 (英語)
花屋 (1916-2016年)
強風の日々 (英語)
戦争の勃発と共に失った仕事 (英語)
南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)
祖父とトムソン医師 (英語)
祖母がマンザナに (英語)
謝罪の必要性(スペイン語)
詩人、沖縄系ペルー人 (1962年生)
メディアを使いこなす (英語)
映画プロデューサー(1936年生)
『Gidra』におけるグラフィックスの始まり (英語)
コミュニティ・アクティビスト
リーマンショック以降のコミュニティの変化
(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。