ディスカバー・ニッケイ

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アメリカ社会を教育するためのイノウエ上院議員の戦略(英語)

(英語)イノウエ上院議員がマツナガ氏の肩に手を回し、こう言ったことを覚えています。「もし、我々が今このことを議会に持ち出せば、ボブ(マツイ氏)はもうここへは来てくれないよ」と。続けて彼は、「そうしてほしければ、来週議会に議案を出すことはできるけど、でも言っておくけど、絶対に可決されることはないね」と言いました。「一体何人の議員が日系アメリカ人の強制収容について、本当のことを知っているだろうか?ほとんどいないだろう。今の下院議員のほとんどはとても若いから、第二次大戦中のことは知らないよ。我々が今何よりも優先すべきことは、アメリカ社会の教育だ。そして、アメリカ社会を教育するために、恐らく最も効果的なのは、大統領委員会の公開討論会を開催することだ。全米を周り、最低でも10回公聴会を開く。そうすれば、かなり世間の注目を集められるし、国民全体に知らせることができる。我々がすべきことはこれだ。」イノウエ議員は、このように言いました。


ダニエル・K・イノウエ 政府 政治 リドレス運動 米国上院

日付: 1998年7月1・2日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: ミッチェル・マキ、ダーシー・イキ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

クリフォード・ウエダ氏は、1917年1月14日、ワシントン州オリンピアの牡蠣養殖業者の家庭に生まれました。1941年から1945年にかけてウィスコンシン大学で学び、その後、ルイジアナ州ニューオーリンズのチュレーン大学医学部に進学しました。ウエダ氏は、カリフォルニア州サンフランシスコで医師となりました。

ウエダ氏が日系アメリカ人市民同盟で活動を始めたのは、1960年にサンフランシスコ支部で一世のオーラル・ヒストリー・プロジェクトの座長を務めたことがきっかけでした。ウエダ氏は、サンフランシスコ州立大学でエスニック・スタディーズの専門学部の立ち上げに貢献した他、「東京ローズ」として知られるアイバ・トグリ氏が、大統領恩赦を得てアメリカ国籍を回復するための支援者のひとりとして、重要な役割を果たしました。

1975年、医師を引退したウエダ氏は、フルタイムの活動家に転身しました。1977年、ウエダ氏は、全米JACLの代表として日系人強制収容に対する賠償運動に参加し、1978年から1980にはJACL会長となりました。様々な役割を通してコミュニティに貢献してきたウエダ氏は、2004年、84歳で癌のため亡くなりました。(2008年4月11日)

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