https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/432/
和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)
(英語) サンタ・クル−ズを離れた後、僕は1年間の休みを取ってアリゾナ州のネイティブアメリカンの居留地に住んでいました。当時の僕はとても理想が高くて、なんと言えばいいのかな、とにかく僕にとっては、アカデミックな環境は現実の世界からかけ離れているように感じていたんですね。それでネイティブアメリカンの居留地でインターンシップをする機会を得た訳です。日系アメリカ人の強制収容所の1つが、ポストンのその居留地の中にあったんですよ。僕はとても無知でしたね。ネイティブの人達をどうにか助けたいなんて思ってたんですよ。彼らを助けるつもりだったんです。でも結果的にはやっぱり僕の方が助けられたんですね。
僕がネイティブアメリカンの文化から学んだ素晴らしいことの1つが、誇りと自然との一体感です。この時の経験から、僕は自分自身のルーツと繋がる必要性に気づかされたんです。例えば、1度ニューメキシコのプエブロ集落の祭礼に出かけて行ったことがあるのですが、それは僕にとってはほとんど外国にいるような感じでした。というのも、それはとても伝統を重んじている村で、広場の中心にはKivaと呼ばれる所があったんです。そしてそこからダンサー達が出て来ていて、彼らは中で祝福を受けていたんです。写真の撮影も許されない中で、男が一人絵を描いていました。そして彼らはその絵を彼から取り上げたんです。村の人々はとても伝統を重んじていました。僕は初めて外国にいるような気がしましたね。でもそのことによって僕は、ここは外国で、自分たちは外国人であり、ここにあるのはこの土地のネイティブの人達の文化なんだということに気付かされたんですよ。そしてこの経験によって、僕がいかに自分自身の文化から遠く離れてしまっているか、ということを実感した訳です。
日付: 2005年3月11日
場所: 米国、ハワイ州
インタビュアー: ソージン・キム、アーノルド・ヒウラ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
ケニー・エンドウ氏は国際的に知られた和太鼓奏者で、現在は太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(ハワイ州オアフ)の芸術監督です。カリフォルニア州ロサンゼルスで生まれ育った彼は、もともとジャズ、フュージョン、ロックバンドでドラムやパーカッションを叩いていました。1975年に組太鼓に出会ったのをきっかけに、太鼓を学び、ロサンゼルスの緊那羅(きんなら)太鼓やサンフランシスコ道場で演奏するようになりました。
1980年、彼は日本へ渡り、以後10年間、助六太鼓、諏訪太鼓、御陣乗(ごじんじょ)太鼓、秩父太鼓の先生のもとでそのスタイルを学び、邦楽囃子の名取りを許された初の外国人となりました。以後、さまざまなジャンルの音楽家たちと共演し、太鼓奏者としてまた太鼓の先生として国際的な活動を続けています。(2005年3月11日)
渡日に対する決断に祖母の影響(英語)
日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)
幸福のために可能な選択も... (スペイン語)
ボリビア元駐日大使 (1958-2014年)
日系人とは?
津田塾大学学長、日本人の日系史専門家
日系人から学んだこと
ニックネーム (英語)
(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者
前後関係・時代背景の織り成す意味 (英語)
日系人を研究している日本人研究者の推論 (英語)
FOB - 新参者 (英語)
ハワイ生まれの在日日系人。YMCAの英語教師。
日本語学校での偏見 (スペイン語)
日系ペルー人画家 (1932-2016年)
日本への親近感(英語)
ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)
太鼓から感じる力強さ(英語)
サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督
太鼓を通して感じ一世と三世のつながり(英語)
アメリカのイメージ(英語)
ハワイ出身の三世。教師・ビジネスウーマンとして日本在住。
子供時代の日本の影響(英語)
多様なメンバーを持つサンノゼ太鼓(英語)