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南米の日系人、日本のラティーノ日系人

日系人と戦争〜私も従軍したマルビーナス戦争から30年

日本人が海外移住をはじめてから150年になる。その歴史は、アメリカやカナダが最も古く、ブラジルやペルーも100年を超えている。その間、日本は世界情勢に翻弄されながら日清戦争、日露戦争、アジア諸国との戦争、そして第二次世界大戦ではアメリカとも戦争することになった。

移住先が戦争になれば、それが対外・国境紛争又は内戦に関わらず、自国民だけでなく外国籍の移住者も大きな判断を強いられる。実際、ヨーロッパ全土が戦争になった時は、一部は迫害から逃げるため、そして多くは平穏な土地を求めて、北米や南米を目指したのである。

南米へ移住した日本人も、当然その時々の情勢に左右されてきた。南米諸国では国境や資源を巡っていくつかの戦争があり、内戦に近いゲリラとの戦争も体験している。我が国アルゼンチンでも、70年代には極左ゲリラとの戦いで軍事政権当局によって行方不明又は殺害された日系人もいる。現在、日系ペルー人の多くが日本に住んでいるのは、経済的な要素だけではなく、ゲリラグループのテロ行為から逃れるためでもあった。

また、移住先で生まれた二世らは国のために戦わねばならないこともある。

1930年頃アメリカには、ハワイ在住の日系人を含めると30万人近くが居住していた。しかし、1942年の日米開戦を機に12万人もの日本人・日系人が内陸の収容所に収容され、うち3分の2は日系人であった。そのため、アメリカ国籍を持つ多くの日系人らは、アメリカへの忠誠を示すため志願兵として従軍し、欧州前線の最も危険なところで戦った。また、日本語が堪能な二世は、通信傍受や諜報活動に従事した。彼らの功績は、後にアメリカ社会から高い評価を受けるようになるが、一般に知られるようになったのは、90年代になってからである。いずれにしろ、国家と親の祖国の狭間で苦しみながらも自分の祖国のために戦ったのである。

1982年7月9日(独立記念日)、帰還後地元の街でパレードに参加した筆者

そして私もまた祖国アルゼンチンのために戦った一人でもある。

1982年、アルゼンチンが以前からそして今も領有権を主張している南大西洋に位置するマルビーナス諸島(英:フォークランド諸島)でイギリスとの戦争があった。二ヶ月半の戦闘だったが、私を含めて数人の日系人が母国のために戦ったのである(5~6名の兵士と2~3人の将校)。

この戦争はその年の4月2日、アルゼンチン軍の上陸作戦を機に始まった。当初その行為は、国連での交渉に弾みがつくと思われていたが、イギリスのサッチャー首相はすぐに100隻に及ぶ機動隊を派遣し、島の首都とは反対側のサンカルロス湾に部隊を上陸させ、島の支配権を一ヶ月半で奪還したのである。

アルゼンチン軍兵士の墓地(ダーウィン墓地)、300数名のがあるがそのうち123名のは「神のみが知るアルゼンチン兵士」となっている。遺体の判別がつかず、この30年間DNA鑑定も行っていない。

前線の戦いは激しく、まさに戦争であった。確かに我が軍の装備や訓練水準等は英軍のより衰えていたが、彼らの西側から首都への進行は「ピクニック」ではなかったと英軍作戦司令官も認めているように、その凄まじい応戦と攻撃そして夜間の氷点下10度以上の寒さは、両陣営に多大な被害を与えたのである。

アルゼンチン軍は、ヘネラル・ベルグラノ巡洋艦の300数人以外にも地上戦でも同等数の被害を被り、合計649名が戦死し私の所属連隊も11名が命を落とした。

我が小隊は、島の空港付近の警備のため、本体から切り離され別の場所に配置された。そのため、後に命を落とした仲間と運命を異にすることとなった。我々も、英軍艦隊の艦砲射撃を受け空爆対象区域にあったが、空港や通信施設が近くにあったことで助かったのかも知れない。私は、「ハポネス(日本人という意味だが、それは厚い信頼の証で)」だから、小隊長(准尉)の側近として通信を担当した。

後に、我が小隊も応援のため前線に向かったが、6月14日停戦命令及び降伏で戦闘は終了した。そして数日間捕虜として拘束された後、ようやく本土に戻れたのである。

島に派遣されることになった経緯は、私も含め多くが招集状を受け取る前に自ら志願したからだ(その前の年に兵役を終えて除隊になっていたが、大きな出来事だったので多くの若者が自ら出頭したのである)。国の大事であり、それが当然のことだと思った。

戦争から1年後には軍事政権は幕を閉じ、選挙によって当選した急進党の大統領が誕生した。軍部の多くは、戦争責任だけではなく人権侵害や人道に反する罪で告訴され、裁判で有罪になった。しかし、その後メネム政権で特赦の恩恵を受けるのだが、しかし数年前キルチネル政権下その特赦が無効になり、政権毎に軍部への対応も異なってきた(1983年以降民政なのだが、どの政権も軍部の改革とともに服役者への対応が異なっている)。

我々帰還兵は職業軍人でないため、そのような責任追及はなかったが、その時々の政治的思惑に少なからず左右されてきたことは否定できない。建前上は「英雄扱い」だが、現政権ではマルビーナス戦争は当時の軍政権が勝手に決めたものでその戦闘に関わったものはすべて「正当化」できないという考えで、我々の存在さえあまり歓迎していない。帰還兵といっても、そこには下士官も将校もいるからである。その証が、2年前の建国200周年記念パレードだ。独立戦争以来のほぼすべての伝統ある連隊が参加したにもかかわらず、マルビーナス戦争の帰還兵部隊は招待されなかったのである(それでも、一部の仲間が割り込んで「649名の英雄に栄光あれ」と書かれた国旗を大統領や要人の前で披露した)。

近年の帰還兵仲間の集まりである。元兵士や将校、現役の軍人も参加している。戦場ではいろいろなことがあるが、いつも対立関係ばかりではないのである。

戦場ではすべての人間模様が映し出され、時には階級を超えてほんとうの友情が芽生える。敵がいつ上陸してくるか分からない緊張、空爆や艦砲射撃、食糧不足と不十分な装備(防寒服等)は、兵士仲間だけではなく下士官や将校たちとも特別な連帯感が築くことにもなる。他方、あのような環境で人間関係が拗れると妬みも恨みも増してしまい、その苦い体験は一生つきまとうことになる。

我々の部隊に関しては、戦後も上官たちとの交流が続き、家族ぐるみの関係も育ち、定期的に会合したり記念日には集会を行ったりしている。帰還兵団体も各地に設立され、自治体や地域レベレでは兵士も上官もかなり暖かく迎えられ、慰霊碑や記念碑が建立されている。

そのため、この30年間、我々帰還兵は、国の政治やその時々の政権の思惑やイデオロギーに翻弄されてきたといってもいい。 今年は節目の年なので、私は3月に島を訪れた。チリ経由で週一便しかないのだが、大変貴重な滞在であった。島は栄えており、漁業のライセンス料、南極行きのクルーザー客の一時寄港(年間45,000人)、2年後の石油採掘に関連するサービスやインフラ整備事業、羊毛産業等によって、今は2億ドルの島民生産で、一人当たりの所得が4万ドルを上回っている。現在アルゼンチンが様々な経済制裁等を実施しているため島の物量に多少影響が出ているが、街のスーパーには何でもあり、住民は活き活きしている。外国人も、総人口3,000人余りの一割を占め、チリ人が一番多い。

マルビーナス(英:フォークランド)のスタンレー市、「自由は、海の向こうから」とこの記念椅子に刻まれている。島民は、英軍を「解放軍」と位置づけている。

現在、島民らは我が国の外交的・政治的圧力によってかなり不快な思いをしているようで、今年「自決権行使」という名目で住民投票を行う予定で、むしろイギリスとの関係強化を今後も継続することを明確にしている。また、島の防衛に2,000人の英軍兵士と最新の装備が配置されており、アルゼンチンにとって領有権交渉は更に難しくなることが予想される。

あの戦争から30年経ったが、まだ30年である。この体験を消化するには半世紀もしくは一世紀ぐらいは必要なのも知れない。そして、領有権の主張も長い年月と未来志向が必要であると実感している。だからこそ、4月2日(上陸と奪還、島民にとっては侵略と不安)と6月14日(降伏と追放、島民にとっては英軍による解放と自由の回復)の意義とその背景をもっと知る必要がある。戦争は自分自身を、国民を、国家を、社会のあり方を試す究極の舞台でもある。移民の子、二世としてその移住先社会で、ある程度尊敬されるには、このような覚悟が必要なのかも知れない(米国の442部隊のとは比較にならないのだが)。

そして、国のために尊い命を捧げた者には、たとえ勝利できなかった戦いでも、永遠に敬意を表し、その出来事を建設的な教訓にするためには歴史を様々な観点から冷静に検証しなければならないと思うようになった。行き過ぎた反省が自虐的になっても、過剰な愛国心が事実を曇らしても、どちらも望ましくなく、それでは英霊は報われないと学んだ30年だったと言える。

ブエノスアイレス市、サンマルティン広場に建立された649名の戦死者が刻まれている慰霊碑。

© 2012 Alberto J. Matsumoto

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このシリーズについて

日本在住日系アルゼンチン人のアルベルト松本氏によるコラム。日本に住む日系人の教育問題、労働状況、習慣、日本語問題。アイテンディティなど、様々な議題について分析、議論。