東京生まれの直さんは、1970年代、カリフォルニアの州立大学に在学中、日系人の友人が日本語を話さないことに気がついた。同じ東洋人でも、中国系、韓国系の学生は親が話す母国の言葉をそれぞれが話すのに、日系人だけなぜ話さないのだろうと不思議だった。そんなとき、日系人が強制収容所に入る体験を描いたテレビ映画「Farewell to Manzanar(マンザナールよ、さらば)」 をアジア系アメリカ人研究の授業で見て、初めてその理由がわかったような気がした。
それから30年以上たったころ、全米日系人博物館が、その映画をDVD化し、5年にわたり決められた数のDVDを販売する契約をとりつけた。その後、直さんは、日本語字幕をつける作業を手伝うことになった。「自分が最初に日系人の歴史を学ぶきっかけになった映画に再会したことに不思議な縁を感じた。これも、全米日系人博物館でボランティアをしていたからこそ、与えられた機会だと思う」
直さんは、2010年からバイリンガルのガイドとして日本人の旅行者や学生グループなどに週1-2回、展示を案内している。日本から来た人や駐在員の中には、展示を見ながら「知らなかった」と涙を流す人やハンカチで目頭を押さえる人もいる。
また山崎豊子の小説「二つの祖国」をテレビドラマ化した「山河燃ゆ」(NHK、1984年)や橋田壽賀子脚本のテレビドラマ「99年の愛」(TBS、2010年)を視聴した来館者は「ああ、これがあのシーンだったんだ」と関連付けながら見学する姿も見てきた。
アメリカの日系人は日本から渡ってきた移民の子孫で、その歴史は19世紀にさかのぼることができる。様々な差別や困難を乗り越え、汗と涙と血を流して今のコミュニティーの基盤を築きあげてきた。彼らのおかげで現在、日本人が自由に旅行したり、留学したり、大手の日本企業がアメリカに進出したりすることができた、と直さんは言う。しかしそうした事実はあまり日本では知られておらず、「アメリカの歴史、そして日系人の歴史をひとりでも多くの人に知ってもらいたい」と博物館でガイドを続けている。
直さんは、アメリカは初等教育で南北戦争を境に前後の歴史を均等に教えるが、日本では、明治以降の「近代史」の教育に力を入れておらず、これは国際人として世界で活躍するための大きな問題点だと指摘する。「大学入学試験の問題に出ないという理由で、僕も学校では勉強しなかった。日本人が海外に進出するにあたって第二次世界大戦も含めた近代史を客観的に知る事が大切」、と語る。
博物館でボランティアをしていて感じることは、現在の日系人は昔の日本人のよさを引き継いでいる、ということだ。たとえば、手作りの食べ物を持ってきては、皆で分けあうのはよくあることだ。現代の日本人が忘れられがちな家庭的な気質を持っている。一方、博物館以外の場所で出会った日系人の中には、第二次世界大戦で真珠湾を奇襲攻撃した日本人を祖先に持つ事は、恥だと考えると話す人もいた。日本語を話さない日系人に対し、新一世が近づいて、お互いにコミュニケーションをとることがとても大切で、こうした役割こそ、新一世が果たせることのひとつではないかと感じていると話す。
* 本稿は、 日刊サンの金丸智美氏がインタビューをし、そのインタビューを元に、ニットータイヤが出資し、羅府新報が発行した『Voices of the Volunteers: The Building Blocks of the Japanese American National Museum (ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々)』へ大西良子氏が執筆したものです。また、ディスカバーニッケイへの掲載にあたり、オリジナルの原稿を編集して転載させていただきました。
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