ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2021/5/14/shinichi-kato-12/

第12回 土台は宗教的エートスか

「広島県移住史」より

加藤新一の出身地である広島県は、明治時代に入って全国でもっとも多くの海外移住者を送り出した「移民県」であることは、前回触れたとおりである。

移民の数を全国的にみると、県によって多くの差があることがわかる。神奈川県出身の私にとっては、海外移民は馴染みのないもので、親戚や近隣にも海外へ渡った人はいなかった。しかし、広島で取材をしていると、親戚や知り合いに海外へ出ていった人やその子孫がいることは決して珍しくはないことがわかる。

では、どうしてそれほど多くの県民が海外へ出ていったのか。いったいどんな背景があるのだろうか。

「広島県移住史」(1993年)

中国地方は山が多く一人あたりの耕地面積が狭い、あるいは自治体が移民を積極的に後押ししたなど、いくつか理由は移民関係の資料で目にしていたが、真正面からこの問題をとらえているものはないか探したところ、1993年に広島県が編集・発行した「広島県移住史」(通史編、資料編)に行きあたった。

この2冊をみると、県独自に県民の海外移住の歴史をまとめていること自体、広島県が移民県であること、そして移民の歴史に価値を認め誇りを持っていることがわかる。

話は少し横道に逸れるが、私は地方取材の際に図書館に行き、郷土関係の資料にあたることがよくある。そこで初めて「ここは、こんなことがあったのか」など、その地域ならではの歴史や特異性に触れて「へえー」と思う。どこでも郷土資料コーナーは設けてあるが、そのなかで地域独自の資料が充実しているのは沖縄である。際立って固有の歴史・文化の蓄積があるからだろう。北海道もアイヌ関係の資料という独自な分野に関する資料がある。

その意味で、広島県も「海外移住」という全国的にみて独自な歴史があるからこそ、こうした書籍が生まれたわけである。もちろん広島の場合は、なにより第一に「原爆の被爆」という重く、大きな固有の歴史があり「広島平和記念資料館」があるように関係する膨大な資料が収集、保持されている。

こうしてみると、海外移住と原爆・戦争は、広島県の歴史のなかで他にはない大きな位置を占めていて、また、二つは日米という「点」で交差している。そして、加藤新一の歴史はその交差点の周辺にある。


出稼ぎの土壌

話を「広島県移住史」に戻せば、日本の移民研究の第一人者らによって執筆された「通史編」では、日本全体の移民史を背景にして、広島県からの移民に関して、ハワイ・北米、中南米・アジアへの移民をはじめ満州への国策移民も含めて、時代を追ってまとめている。

本書ではその序章として「広島県移民の特質と背景」を考察している。1899〜1932(大正13年〜昭和7)年の日本の海外移民数を都道府県別にみると、広島県が全国1位となっていることを示し、その背景としてまず「出稼ぎの風土」をあげている。

古くは、「徳川中後期の出稼ぎ」として、安芸国(広島県西部)出身の「安芸者(あきもん)」と呼ばれる木挽、石工、大工など半専門的な技能をもった出稼ぎ人の存在に触れ、この時代に「広島県、とくに安芸国の人々は多数が各地に出稼ぎに赴き、……」と、出稼ぎの風土があったことを紹介している。

次に「明治期の出稼ぎ」の背景として農家の耕地面積をあげている。1885(明治18)年における安芸国の一農民あたりの耕地面積が、1反10歩と全国で下から2番目で、備後国(広島県東部)も下から6番目(フエスカ『日本地産論』より)であることを示し、「このような事情から徳川中期以降両国では出稼ぎが広範囲におこなわれ、明治以後、資本主義の発達とともに徐々に出稼ぎ的賃労働に変わっていく。」としている。

具体例として、福岡県の炭鉱や各地の紡績工場へ多くの出稼ぎ例があったことをあげ、また、「勤勉、倹約、忍耐等の徳性においても優れ、質的にも優秀な労働者であることが知られた」という。この広島県人の労働の質の高さという点は、ハワイへの官約移民の際にも、受け入れ先から評価されている。

また、出稼ぎの流れの延長として、広島から北海道への移住が、海外移住の前史としてあるという。広島県民の北海道移住者数をみると、1882年は330人で全国第3位、83年は501人で1位、84年は637人で2位となっている。が、85年からは大きく後退しているのは、高収入が期待できるハワイへの官約移民の開始により、北海道からハワイへと行き先が変わったとためだという。


浄土真宗の行動様式

広島県移民の背景として、つぎにあげられているのが、「安芸門徒の信仰と行動様式」である。安芸門徒とは、広島県に多い浄土真宗の門徒のことだが、浄土真宗では信仰上の理由から、人口調整のために堕胎や間引きをおこなわない。これが人口増を招いた。本書では、以下のように言い表わしている。

「正直・勤勉・節約・忍耐等は彼らの徳目であった。人口が増加しつつも地域産業の十分な発達なく、しかもその人々が勤勉の精神の持ち主であるとき、人々は生誕の地を離れて出稼ぎ・行商等に向かうのである。一八世紀以降、広島県域、とくに安芸の人々が各地に出稼ぎし『安芸者』と称されながらも誠実に勤労にいそしんだのである。」

各地に出た具体例が、まずは北海道移住であり、つづいて官約移民としてのハワイ移住であり、さらにアメリカ本土などであった。また、宗教上の行動様式は、海外での宗教活動にも大きな影響をもたらしているとして、ハワイで浄土真宗の開教が成功した理由に、移住してきた日本人の多くが広島県や山口県など浄土真宗が盛んな地の出身者であることもあげている。

そして、全体のまとめとして以下のように結んでいる。

「移民という社会現象は複雑な歴史的諸要因によって成立するものであるが、わが国移民の中心部分、とくに広島県から送出される移民が量的に多く、また、質的に優秀で両者に相乗作用が成立していることの一つの要因として、真宗門徒の信仰とその行動様式(エートス)を精神的基礎としていることは明らかである。」

出稼ぎ、勤労精神、人口増(殺生の忌避)といったものがいずれも浄土真宗の行動様式と関係するものであることを考えると、移民県としての土台は宗教的なエートスといってもいいようだ。繰り返しになるが、加藤家の菩提寺もまた浄土真宗であった。

(敬称一部略)

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© 2021 Ryusuke Kawai

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このシリーズについて

1960年前後全米を自動車で駆けめぐり、日本人移民一世の足跡を訪ね「米國日系人百年史~発展人士録」にまとめた加藤新一。広島出身でカリフォルニアへ渡り、太平洋戦争前後は日米で記者となった。自身は原爆の難を逃れながらも弟と妹を失い、晩年は平和運動に邁進。日米をまたにかけたその精力的な人生行路を追ってみる。

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執筆者について

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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