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青年活動から生まれた文芸誌『怒濤』-その2/5
>>その12.鶴嶺湖男女青年団の結成隔離収容所となった1943年の秋ころから、青年団を作ろうという動きが起こったが、それが本格化したのは、さきに述べた「現状維持派」と「現状打破派」の対立が深刻になっ…
篠田 左多江 • 2011年3月18日
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青年活動から生まれた文芸誌『怒濤』-その1/5
トゥーリレイク収容所は、日本語出版物のもっとも多い収容所である。文学誌の性格をもつものは『怒濤』および『鉄柵』のほか、短歌誌『高原』がある。『高原』は泊良彦の主宰する「東津久仁短歌会」の短歌誌である…
篠田 左多江 • 2011年3月11日
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『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その5/5
>>その4『若人』第三号は8月30日に発行された。編集部によれば、戦時転住局はすべての作品を翻訳し、英文と和文の両方を掲載すべきであると主張したという。しかし、双方の折衝の結果、従来通りの形式で許可…
篠田 左多江 • 2011年3月4日
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『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その4/5
>>その33. 比良男女青年会機関誌『若人』1943年2月に忠誠登録が実施されると、青年会の活動は難しくなった。会員の大多数は合衆国への忠誠を拒否し、隔離収容所への移動または日本への送還を希望した。…
篠田 左多江 • 2011年2月25日
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『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その3/5
>>その22. 『若人』創刊の背景 -比良男女青年会の活動-収容所への移動が完了してほどなく、帰米二世たちが集まって帰米男女青年会が発足した。急激な環境の変化によって落ち着かない生活を送っていた若者…
篠田 左多江 • 2011年2月18日
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『若人』 ―帰米二世文学の芽生え- その2/5
>>その1所内には戦場で使用するカモフラージュネットの工場があり、住民に戦争努力への貢献を求め、市民権を持つ人のみが働くことを許された。また、早くも1942年9月から戦時転住局の斡旋で、綿花摘みの労…
篠田 左多江 • 2011年2月11日
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『若人』 -帰米二世文学の芽生え- その1/5
1. 『若人』創刊の地 ―ヒラリヴァー収容所― 『若人』が生まれたヒラリヴァー収容所、正式にはヒラリヴァー戦時転住所(以下ヒラとする)は、アリゾナ州のピマ・インディアンの居留地のなかにあった。第一次…
篠田 左多江 • 2011年2月4日
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幻の文芸誌『收穫』-その4/4
その3>>4. 英語による作品『收穫』が二世の作品を掲載することによって二世の文学活動を促進し、二世文学者との交流を深めようとしたことは注目すべきことである。、このような試みは日系文学史において稀な…
山本 岩夫 • 2011年1月28日
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幻の文芸誌『收穫』-その3/4
その2>>3.『收穫』の方針と内容『收穫』の方針を各号の巻頭言によって明らかにし、作品をジャンル別に検討してこの雑誌の内容上の特徴点を示しておきたい。
(1)巻頭言『收穫』を創刊した北米詩人協会の趣…
山本 岩夫 • 2011年1月21日
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