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日系ペルー人ゆえに拒否された賠償金(英語)

(英語) 戦後補償を扱う政府機関(Office of Redress)からの手紙には、強制収容が行われた時点で私はアメリカ市民または永住権保持者ではなかったという理由で戦後補償を受ける資格が無いと書いてありました。私は即座に上告しました。上告しましたが、政府は私が1956年まで永住権を取得していなかったと言うのです。もちろん上告は却下されました。他にも、私が自主的にカナダへ行ったことが却下の理由として示されていましたね。これに関していえば、私が永住権を得る唯一の手立ては一度国を出て再入国すること、と入国管理局に教えられたからです。これのどこが自由意志なのでしょう?不法入国者の烙印を押された時と一緒ですよ。元々来たくて来た訳じゃないんです。政府に連れてこられたんですよ。政府に無理やりここにつれてこられたんです。銃を突きつけられてね。その挙句、不法入国者だなんて。それだけじゃないですよ、ペルー人の中にはビジネスマンもいて、パスポートを持っている人もいましたが、乗船する時にパスポートは没収されたのです。それなのに、船を下りたとき何の書類も持っていなかったから、私達は不法入国者だ、と彼等は言うんですよ。


ペルー リドレス運動

日付: 2003年10月26日

場所: 米国、ワシントン州

インタビュアー: アリス・イトウ

提供: Denshō: The Japanese American Legacy Project.

語り手のプロフィール

アート・シバヤマ氏は1930年6月6日ペルーのカヤオで生まれた日系二世の男性です。ペルーで両親・祖父母によって育てられた彼は、第2次大戦中にアメリカ軍の輸送船でアメリカへ両親ともに連行され、テキサス州クリスタルシティの収容所へ収容されました。その後ニュージャージー州シーブロックの生産会社で働くために家族で移住しました。不法移民とみなされていたにもかかわらず、1950年代にはアメリカ陸軍に徴兵され、ドイツに駐屯しました。除隊後は、イリノイ州シカゴとカリフォルニア州サンノゼにて家庭を築きました。近年は、カリフォルニア州ツールレイク収容所の巡礼や日系ペルー人の同窓会に参加したり、日系ラテンアメリカ人の戦後補償を求めるキャンペーンにも携わっています。シバヤマ氏は、2018年7月31日、88歳で亡くなりました。(2018年7月)

*全インタビューはDenshō: The Japanese American Legacy Projectにて見ることができます。

Michelle Yamashiro
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ミシェル・ヤマシロ

本州の人々の沖縄人に対する偏見(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

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Michelle Yamashiro
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ミシェル・ヤマシロ

三か国語を使った沖縄での活動(英語)

ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人

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Jimmy Naganuma
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ジミー・ナガヌマ

ペルーから米国へ強制連行(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

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Jimmy Naganuma
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ジミー・ナガヌマ

ペルーでの子供時代の思い出(英語)

クリスタルシティに収容された日系ペルー人(1936年生)

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Kazumu Naganuma
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カズム・ナガヌマ

彼の妹は家族のために賠償金を確保した

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

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