ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2023/2/3/narumi-ogusuku/

あらゆるところに遍在する日系アーティスト:ナルミ・オグスク

  はじめてのドキュメンタリー「ウビクア(UBICUA)」のポスター。

「ウビクア(UBICUA)」という単語には二つの意味がある。その一つが「あらゆるところに存在し、常に動いている(行動してる)人」という意味である。

映像作家でコミュニケーターでもあるナルミ・オグスク(大城)さんは、最近ペルーで開催された「若手日系人アートサロン」で自作の短編映画『ウビクア』を紹介した。

『ウビクア』は日本で生まれ育った日系ペルー人の物語である。12歳のときにペルーに「戻った」自分を題材に、自分の居場所が「あっちにもこっちにもない」と感じる心境をとらえたドキュメンタリー映像だ。


ウビクア(UBICUA)の起源

ナルミは1996年、群馬県に生まれた。日系三世の両親が出稼ぎ労働者として、ペルーから日本へ移住したからである。

家ではスペイン語で会話をしていたが、外(学校や友達)ではすべてが日本語だった。彼女にとっては、日本語で会話をする方が楽だった。ペルーは、両親の祖国で時々休みに訪れる国であり、自分にとっては故郷ではないと感じていた。

しかし、2008年、ペルーに「戻る」ことになり、ナルミの人生は大きな変化に直面した。ペルー社会へ適応することはそう簡単なことではなかったが、地元の日系学校に入学したので、そのショックを緩和することができた。

ナルミは、日系社会の中で日系人らと勉強し、活動を共にし、コミュニティーのイベントでは歌を歌った。

しかし大学に入学し、日本からペルーへ引っ越したときほどの衝撃はなかったものの、新たな試練に直面した。新しい学問の環境には日系人の存在はほとんどなく、無知からくるアジア人への偏見にさらされた。アジア系の違いを理解していないことに理不尽さを感じた。

そこでナルミは韓国系の女性と共に、クラスメイトらにエスニック的な違いを教え、悪気がなくとも自分たちのことを「チナ(china、中国人や東洋人全般を指すことが多い)と呼ばないよう理解を求めた。幸いにもその目的は達成し、ナルミはその結果に満足した。

このような大学での経験が、自分のルーツやアイデンティティーについて表現する機会をもたらした。そしてクラスの課題の一つとしてドキュメンタリーを制作することになり、自分の生い立ちを取り上げることにした。

そして生まれたのが『ウビクア(UBICUA)』である。大学の課題として作った作品ではあるが、映像作家のハロルド比嘉氏の誘いで、ペルー日系人協会開催の「若手日系アートサロン」で「ウビクア」を上映する機会を得たため、より多くの人に観てもらうことができ、注目を浴びた。

短編映画で使用した家族の写真や記録資料(写真:本人のアーカイブ)


自分の国に帰る?

ナルミは日本で暮らしていた時、自分が外国人であることを十分に認識していた。親もそのことを常に強調し、共生に必要な規則やしきたりをきちんと遵守するよう念を押していた。「外国人に対する評判が悪くなる」ことのないように礼儀正しくなくてはならないと教えられたのである。

学校では自分の苗字はカタカナで書かれていた。それも外国人であることの証であった。

また、日本での滞在は一時的なものであることも知っていた。特に母親はいずれペルーに帰ることを前提にしていた。

しかし、ナルミは、いつもペルーに帰ることを話す両親をかなり不思議に思っていた。生まれた国でもなく、生活もしたことがない国に「戻る」ことは腑に落ちなかったのである。

両親に「いずれペルーに戻るからね」、「日本で生活してても、お前はペルー人だからね」と言われていたが、ペルーに戻ったからといってペルーにも日本にもどちらにも属しない。あっちにもこっちにも自分の明確な居場所がない、とナルミは話す。

日本人の友達から「国に帰るのね」、「え〜、どの国?」といわれたが、日本で生まれ、幼い時から日本で育ち、日本人と同じように日本語が話せるのに、自分の国が別の国とはどういうことなのか、常に疑問に思っていた。

日本人からは同じ仲間として扱われ、一度も差別やいじめを受けたことがない。しかし、「自分の国に帰るのね」と言われると、やはりその仲間たちも彼女を同じ「日本人」として見ていなかったのかもしれない。

ナルミにとって、自分が他の人と違うということは大きな問題ではなかったが、心の奥底では疑問や葛藤を抱えていた。日本ではみんなが同じだという部分を重要視するので、彼女もできるだけみんなと同じであると見せていたのかも知れない。

ペルーでは、日系人の学校に通ったが、ナルミは外国人であると感じた。理論上は他の日系人と同じだが、ナルミは「ペルーの日系人とは違う外から来た」日系人として見られたのだ。

すなわち日本ではペルー人、ペルーでは日本人になっていた。

それでも、クラスメイトとは違いより共通や共有できるものが多かった。幸いにもペルーにはナルミのような学生が多数おり、日本で生まれた又は育った出稼ぎ就労者の子弟が少なくなかった。

ナルミはできるだけ日本語ではなくスペイン語でコミュニケーションを取り、早くペルー社会に溶け込めるよう努力した。

また、日本から戻ってきた同じような仲間にも「ペルーにいるのだからスペイン語で話さなくては」と促した。

さらに「もっと賢く、図々しく振る舞わないと。ペルーで生き残るためにはそうした要素も鍛えなさい」とも言っていたという(笑)。

ペルーの社会で生活する上で、一番の懸念材料は治安の悪さであった。日本では小学校から一人で通学するが、ペルーではありえない話である。それゆえ、リマのナルミは、日本で慣れていた行動と自由が制限されることになった。

あらゆるところの人 

ナルミ・オグスクさんがズームでインタビューを受けている様子。  

このインタビューでこの日系4世は「私は、あっちにもこっちにも属していません」と何度か言っていた。だからと言って祖国がないわけではない。彼女は「両国とも私の国ですが、どちらの国も完全にマッチするわけではないのです」と言っていたことが印象深い。

「私は、あっちにもこっちにも属していないので、そう簡単に居場所をきめることはできないかも知れません。しかし、ペルー人としても、日系人としても、そしてウチナーンチュ(沖縄にルーツをもつもの)としても、そのルーツを感じることができるので、日本人としての側面も自分の一部であると思うのです」、とその多様性を評価している。

こうした複雑な多面性を、彼女は問題だと思っていない。短編映画では、こうした要素をプラスなものとして扱い、あっちの人でもあり、こっちの人でもあり、あらゆるところに遍在する人を「ウビクア(UBICUA)」として表現している。

ナルミは、これまでの経験が、日系人としての多様性をもっと豊かにしてくれていると感じているようだ。

二世や三世の多くは、日本語をほとんど理解せず、一世(移住者)が伝えてきた文化や歴史を通して日系人としてのアイデンティティを築き上げてきた。一方ナルミは、日本で得た直の体験をとおして自身の日系アイデンティティを作り上げた。

ナルミは、他の日系人とは異なった教育と経験、ヴィジョンによって「桁違いの日系人」になっているのかも知れない。親の世代から継承していた日系人のパラダイムとはやはり異なる存在なのである。

ペルーに行ったナルミにとって、日本ではあまり意識していなかった「日系」という概念が、とても大きな意義と意味を持つようになった。学校で多くのクラスメイトが日系人だったこともあり、自身も日系人としてそのアイデンティティを共有するようになる。そして、自分のもう一つのルーツである沖縄系の部分も発見し、今はそのことを誇らしげにしている。

「若手日系アートサロン」での短編映画の上映は、彼女にとって有意義なものとなった。日系という要素を別の切り口からアプローチできることが分かった。例えばニッケイ料理がその一つである。とても興味深いものだった、と彼女はその印象を語っている。

ナルミは映像作家兼コミュニケーター(写真:本人のアーカイブ)

『ウビクア(UBICUA)』は、ナルミが、はじめて自分の複雑なアイデンティティーを表現した作品だ。自身や自分と同じような経歴を持つ若者を題材にした作品が、想像もしていなかった形で受け止められたことに驚きを隠せなかった。

例えば、『ウビクア』をみて移住者一世の苦難と重ね合わせてみる人もいた。日本に住んだこともない日系人でも、「あっちにもこっちにも属しない」という部分を一世の人生を重ね合わせてみたようだ。

しかし、今やナルミが生まれた日本は、ナルミにとって少し遠い存在になっている。日本は貴女にとってどういうものですか、という質問に、彼女は真剣に考えながら次のように答えた。

「いつも心の中にある存在ですが、ずいぶん昔のことのように思えます。移住者の一世は日本に対する記憶や思いを持ち、その時代をペルーで継承しましたが、私が知っている日本、私の記憶にある日本というものは、もうないのかも知れません」。しかしながら、また日本に行き日本で住む可能性は否定していないという。数年前、研修で日本に行ったときの経験はとてもプラスになっているようだ。「日本は自分の一部である」とナルミは今も主張している。

今回、日系人の短編ドキュメンタリーを制作したことは、ナルミにとってとても大きな充実感を与えた。次は日本に住んでいる日系人を題材にしたものを製作したいと考えているので、そのためにも日本に行かねばならないと意気込んでいる。

そう、日本が彼女を待っているのだ!

 

© 2023 Enrique Higa Sakuda

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執筆者について

日系ペルー人三世で、ジャーナリスト。日本のスペイン語メディアインターナショナル・プレス紙のリマ通信員でもある。

(2009年8月 更新) 

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