ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2023/3/10/derek-yamashita-1/

東日本大震災追悼:「The Hidden Japan」デレック・ヤマシタ氏インタビュー — その1

 テラサキ・プログラムでのボランティア活動

2011年を境に3月11日は、壊滅的な東日本大震災の発生によって人生が一変した何十万もの日本の人々にとって、追悼の日となった。地震とその後に起きた津波は、大勢の命を奪った。その後数週間、人と地域に影響を及ぼす数多くの問題が発生し、それらの問題は、それから何か月、何年も先まで続いた。福島の原子力発電所での電源喪失から津波による塩害、広範に及ぶ建物、住宅、自動車への冠水被害など、地域の人々は日常生活を取り戻す以前に、克服困難と思われる障壁を乗り越えなければならなかった。あれから12年、被災地ではいまだ多くの人が苦しみ続けている。

3.11の二重災害は世界中に衝撃を与え、日本国外に暮らす人々の人生さえも、大きく変えた。デレック・ヤマシタもそのひとりだ。デレックは日系四世としてカリフォルニアで育ち、日本との個人的・文化的なつながりが多かったことから、東北地方の人々をどうにか助けたいと強く思った。デレックの旅は、Tシャツを販売して11,000ドルを集めた募金活動から始まった。集まった支援金は、南カリフォルニア日米協会のサポートを得て、地震と津波から最も深刻な被害を受け、支援を最も必要としていた地域の復旧活動に充てられるよう、日本に送金された。

Tシャツ募金活動

この活動をきっかけにデレックは、米国内の日系コミュニティとより深く関わるようになり、日本でのキャリアにもつながった。彼は東北地方で積極的にボランティアとして活動する傍ら、The Hidden Japan合同会社という旅行会社を立ち上げた。デレックはこの2つの活動を通して日米の文化的な架け橋となることをめざし、さらには時間をかけて親密な関係を築き、情熱を持つようになった東北地方への支援を続けている。これらのデレックの活動は認められ、昨年、芸術、ビジネス、文化、教育、政治、スポーツ、テクノロジーの分野で多大な貢献を30人の若者を表彰する全米日系人博物館(JANM)による「30チェンジメーカーズ・アンダー30」(30歳未満の30人のチェンジメーカー)に選出された。

東日本大震災から12年を迎えるにあたり、JANMのディスカバー・ニッケイ・プロジェクトがデレックにインタビューを行った。多くの歴史的瞬間と同様に、2011年3月11日の出来事から直接的、間接的に影響を受けた人々は、この日を忘れることはないだろう。

* * * *

東北地方での活動について

ハンチントンビーチ市と安城市の姉妹都市プログラムに参加したきっかけは何ですか?姉妹都市プロジェクトでの経験や、カリフォルニアでの日系コミュニティとの関わりからどのように影響を受け、日本に高い関心を持つようになったのでしょうか?

僕は、自分が日系人だと教えられて育ったので、もともと日系としてのアイデンティティを持っていました。だから実際に日本に行くチャンスが訪れたとき、僕はすぐに飛びつきました。この経験から僕は、日本と自分のルーツに深く魅了され、日本の人々や文化への愛に一気に目覚め、その後の人生の方向性は一変しました。テレビに震災の悲劇が映し出されたのは、姉妹都市プログラムや日本でのホームステイ体験の感激が冷めやらぬ頃でした。日本ですごく親切にしてくれた人々やコミュニティと同様の人々やコミュニティが、想像を絶するほど苦しんでいるのを見るのは苦痛でした。

初めての募金活動にTシャツの販売を選んだのはなぜですか?

ロサンゼルスにいる僕にできることが限られているのは分かっていましたし、当時の日本に一番必要だったのは災害救助のための支援金であることは明らかでした。だから募金活動をして支援することにしました。両親や学校とも話し合った結果、利益率が良く、震災のニュースであふれていた時期に活動を目立たせることのできるTシャツこそ、販売に打ってつけだと思いました。南カリフォルニア日米協会(JASSC)の当時の会長、ダグ・エルバーと知り合いだったので、支援金が必要な人に迅速に届けられ有効に使われるだろうと思い、集まった支援金をJASSCに託すことにしました。

東日本大震災の影響を受けた人々のための募金活動を、米国に住むご家族や友人たちと一緒に行うことは、当時のあなたにとってどのような意味がありましたか?

まず何より、小さい募金活動にいっせいに寄せられた支援に驚かされました。ハンチントンビーチ市の市長が個人的に僕と募金活動について地元テレビで紹介してくれて、日系人デザイナーのケビン・ホソダさんが無料でTシャツをデザインしてくださり、ハンチントンビーチのTシャツメーカーが生産費用を値引きしてくれました。販売ブースをたくさん立ち上げ、僕のクラスメイトが長時間にわたってボランティアをしてくれました。日系コミュニティももちろん協力的で、フェスやイベントでブースが確保できるよう助けてくれ、多くのお店がTシャツ販売を引き受けてくれました。

大学時代に東北地方を回ってボランティア活動をした経験はいかがでしたか?

東北地方へ行くのはこの時が初めてで、過去に訪れたことのある東京や西日本とはまったく違いました。僕が注目したのは、美しい自然やおいしい食べ物、ゆっくりした時間の流れでした。地元の人たちの辛抱強さと温かさも印象的でした。

山形県庄内地方

数か月前に家族や友人を亡くした多くの地元の人々が、あまりにも多くを失ったばかりだというのに、ボランティアグループを大切な客として歓迎しようと一生懸命だったことに特に驚かされました。それで僕は、もっと支援したいと思うようになりました。東京に留学中、僕は20回以上東北に足を運び、ボランティア活動に参加しました。JASSCやダグ・エルバーと一緒に活動することもありました。

大学に入学した頃から卒業した後も、JETプログラムや日米文化会館(JACCC)、日米交流財団、最終的には東京オリンピック組織委員会でも仕事や活動をしていたとのことですが、どのようにしてこうした団体と活動するようになったのですか?

JETプログラムには、他の人たちと同じように申し込んだだけです。志願した東北地方に配属されることになるのは分かっていました。JETプログラム参加者が、東北地方を希望することはほとんどなく、珍しいことなんです。東北に配属されたことで、僕がJASSCから資金を得てボランティア活動をしていた児童養護施設への訪問など、それまでのいくつかの活動を継続することが可能になりました。児童養護施設でのボランティア活動については、こちらをご覧ください。

日米交流財団の奨学金プログラムに申し込んだのは、東京での留学生活を支えるためです。この奨学金のお陰で経済的な後ろ盾ができ、主に手弁当で活動しているボランティアグループの「チームあすなろ」と一緒に東北地方にボランティアに行くことができました。また、日米交流財団を介してヤマモトコウジさんのいる弁護士事務所のインターンシップの機会を得ることができました。ヤマモトさんは僕の人生に欠かせない日本の良き相談相手で、今も僕にアドバイスをしてくれます。

ボランティアグループ「チームあすなろ」

JACCCや東京オリンピック組織委員会と提携するようになったのはその後何年も経ってからで、僕が東北で観光・旅行代理店を立ち上げた後のことです。


どのような経緯で旅行会社「The Hidden Japan」を始めたのですか?

東北で仕事をし、何度もこの地に足を運んできた結果、僕が日本で好きなのは東北だと気づきました。混雑した東京や京都、大阪の観光ルート沿線では決して出会うことのない、本物で深い日本の別の側面を見ることができると思いました。東北には幅広い旅行者に訴える、独特の魅力があると思ったのです。

JETプログラムに参加していたとき、単なる趣味で旅行ブログをつけ始めました。その後、友人たちと正式なウェブサイトを立ち上げ、広告を取り入れて副業にしました。その後、大勢の旅行者や旅行会社から連絡がくるようになったんです。ビジネスパートナーも僕も、これは大きく成長する可能性があると考え、会社を「The Hidden Japan」と名付けて設立に専念するようになりました。

3.11の震災は、津波が直撃したことで海岸線を大きく変えましたが、東北地方全体に甚大な経済的・社会的損害を与えました。家族が東北の他の県で働いていたり、東北全域に仕事上のつながりがあったり、この地方はあらゆる面でつながっています。このことは、東北地方の代表的な祭りをすべて集結させ、震災後の地域支援を促進するために企画された「東北絆まつり」の創設からも伺えるでしょう。当社は、この祭りの広報を担当しました。詳しくはこちらから

山形花笠まつり

The Hidden Japanは、東北地方を拠点にしているかなり特殊な旅行代理店です。欧米の旅行者を顧客にしている他のほぼ全ての代理店は、東京か海外を拠点にしているのですが、そうしたやり方は、特にインバウンド観光からの利益や恩恵のほとんどを失った被災地において持続可能ではないし、東北地方のためにもならないと思います。

当社の従業員は、全員が東北地方に住み、東北で仕事をし、顧客の旅先となる地域の人々と深く結びついています。僕たちは、常に地元のガイドと仕事をし、地元資本のホテルや郷土料理を優先させています。地方自治体と連携し、当社のビジネスが地元地域を尊重し、持続可能な方法をとっていることを保証しています。僕の従業員全員に東北への想いがあり、盛況な観光会社を創設できたことを皆が誇りに思っています。


地域の復興に取り組む政府や地方自治体とパートナーシップを組んだことで、どのように東北のさまざまな地域を、海外や日本の顧客に紹介することができましたか?

会社を始めてからずっと、3.11の震災と今なお続く復興への道について伝えるツアーをやりたいと思っていました。しかしこれは難しく、そのようなツアーを作り、配慮と敬意のあるやり方で確実に実施するには多くの課題がありました。

昨年僕たちは仙台市と提携し、ついにパッケージツアーの開発に着手し、旅行者の受け入れを始めました。自然の圧倒的な美しさと美食体験、地元の人々による胸を打つストーリーを組み合わせたパッケージツアーが完成しました。こうした要素は、そもそも僕が日本に移住した理由でもあったので、僕にとってとても意義深いプロジェクトになりました。観光業は東北復興の鍵を握る柱であり、東北地方の小さいコミュニティの経済を強化するには欠かせません。

東北のインバウンド観光関連の雇用作りには、大きな可能性があると確信しています。地元ガイドを雇用し、地元の人々と交流できる特別な機会を設け、地元の魅力的な宿泊施設へ顧客を案内するなど、できることはたくさんあります。10年以上東北支援のプロジェクトに関わってきた経験から、地元で必要とされている多くのニーズが分かるようになりました。そして東北を支援できるこのやり方が、今では最も重要だと確信しています。


東日本支援には今も関わっていますか?現在進行中のプロジェクトはありますか?

はい、グレン・タナカさんの「ウォーク・ザ・ファーム」プロジェクトに関わっています。「ウォーク・ザ・ファーム」は、ここ10年間でたくさんの農家を支援しました。そしてコミュニティへの長期的な復興支援を続けるための新しい取り組みも計画しています。

例えば宮城県では、津波によって農業が壊滅的被害を受けました。塩害が発生した農地を元に戻すにはかなりの手間がかかります。また、地元の農家は生計を立てるのに苦労しているだけでなく、小さい農村は現役世代の農地を引き継ぐ若い農家が見つからない、という危機にも直面しています。

グレンと一緒に海岸線沿いの小さい農村との協同プロジェクトに取り組んでいます。地元農家のニーズを特定し、若い農家を呼び込みビジネスを立ち上げるための新しい方法を考えています。この取り組みには、観光客がこうした農村のコミュニティを訪れ、実際に農家に会い、一緒に収穫して郷土料理を作り、食事を共にするという「ファーム・トゥ・テーブル」の体験の企画も含まれます。より詳しい情報は、「ウォーク・ザ・ファーム」のウェブサイトをご覧ください。


このインタビューの読者には、ヤマシタさんの経験から何を得てほしいと思いますか?

世界中の多くの人が震災をきっかけに東北のことを知りましたが、それが東北のアイデンティティになるべきではないし、そのことだけで東北のことを記憶してほしくないと思います。踏みならされたルートを外れ、大都市に溢れた増え続ける観光客を避けたいと思う人にとって、東北のコミュニティは素晴らしい旅先になります。東北は長い年月をかけて復興し、お客さんを迎える用意ができています。関心のある旅行者のみなさんの東北への旅のお手伝いができればと思います。

その2 >>

 

© 2023 Japanese American National Museum

このシリーズについて

人と人との固い結びつき、それが、「絆」です。

このシリーズでは、2011年3月11日の東北地方太平洋沖地震とその影響で引き起こされた津波やその他の被害に対する、日系の個人・コミュニティの反応や思いを共有します。支援活動への参加や、震災による影響、日本との結びつきに関するみなさんの声をお届けします。

震災へのあなたの反応を記事にするには、「ジャーナルへの寄稿」 ページのガイドラインをお読みください。英語、日本語、スペイン語、ポルトガル語での投稿が可能です。世界中から、幅広い内容の記事をお待ちしています。

ここに掲載されるストーリーが、被災された日本のみなさんや、震災の影響を受けた世界中のみなさんの励ましとなれば幸いです。また、このシリーズが、ニマ会コミュニティから未来へのメッセージとなり、いつの日かタイムカプセルとなって未来へ届けられることを願っています。

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執筆者について

1985年に設立された全米日系人博物館(JANM)は、日系人の経験を共有することで、アメリカの民族的・文化的多様性への理解と認識を促進しています。ロサンゼルスのダウンタウンにある歴史的なリトル・トーキョー地区に位置するJANMは、日系アメリカ人の声を伝え、すべての人が自らの遺産や文化を探求できるフォーラムを提供しています。1992年に一般に向けて開館して以来、JANMは70以上の展覧会を開催し、17の展覧会を米国、日本、南米の主要な文化博物館で巡回展示しています。JANMについて詳しい情報は、janm.orgをご覧いただくか、@jamuseumをフォローしてください。

(2023年3月 更新) 

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