ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2023/3/29/child-labor-generational-business/

児童労働とファミリービジネスの継承

アメリカンドリームを実現するために渡米した、初期のアジア系移民のビジネスチャンスは限られたものでした。移民には、特定の職業やビジネスの道しか開かれていませんでした。私の中国人の両親は、洗濯屋を営んでいました。

50年代の中国人の経済的成功は、洗濯屋を経営することから始まります。経営がうまく言った矢先には、街角の食料雑貨店を持ち、最終的にレストランを持つことが成功の象徴でした。また、チャイナタウンの縫製工場で出来高払いの仕事をするのが一般的な仕事で、私の叔母たちはそこで働いていました。

移民の子としてアメリカれ生まれた私たち兄弟は、児童労働者として使われました。私は8歳の時から、洗濯屋でシャツにアイロンをかけていました。接客し、仕上がった洗濯物を梱包し、きれいな洗濯物と汚れた洗濯物の仕分けをしました。それは、私に責任感を持たせ、重労働を恐れないようにするための訓練でもありました。

また、親が食料品店やレストランを経営している友達は、レジを任されたり、ウェイターをしたり、調理補助をしていました。

日本人は、農業、花卉栽培、ガーデニング、小さな食料品店や商店を経営していました。モントレーやサンペドロのターミナルアイランドでは、缶詰工場で働く人もいました。

近年のアジア系移民の世代は、セブンイレブンや酒屋、ドーナツ店、ネイルサロンなどの経営に携わることが多いようです。

子供たちの長時間労働や下働きは、彼らにアメリカンドリームへの道を開く機会を与えることになります。

例えば、カリフォルニア州の元国務長官であるマーチ・フォン・ユーの両親は、洗濯屋を経営していました。後にオバマ大統領の商務長官を務めたゲイリー・ロック元ワシントン州知事は、食料品店を経営する両親に育てられました。ロックは後に、初の中国系アメリカ人として在中アメリカ大使を務めることになります。

私は、食料品店を経営している両親を持つ友達をうらやましく思っていました。好きなだけソーダやアイスが無料で食べられるなんてラッキーだとよく言ってたものです。

でもその友達は、食料品店は365日営業なので両親は休みもないし、学校行事にもめったに来れないからなんのいいこともないと、言っていました。

児童労働を使ってはじめた事業は、やがてその子供が継続して経営することになります。私の義両親がカーピンテリアで経営しているAbe Nurseryがその例で、4世代続いています。

ガーデナのアベ保育園の初期の写真。

義父のルー・アベは2代目のオーナーでした。戦後カリフォルニア大学バークレー校で鉱山工学を専攻していた義父は、日本人であることを理由に石油産業への就職を断られ、大学を中退。戦後ガーデニングを生業とする人たちに植物を供給するために園芸店を始めた彼の父親の事業を一緒にやっていくことにしました。

何世代もビジネスを継続させるのは大変なことです。私の家族の場合、いろいろな機会が移民の子である私たちにも開かれました。私たち二世の多くは大学に進学し、専門的な学位を取得する一方で、洗濯屋や食料品店、当時は成功の象徴でもあったレストラン経営を継ぐ人は少なくなりました。

ある大学時代の友人は、家族がサンノゼで花の栽培を営んでいました。彼は、温室で花を収穫する仕事が好きではなかったので、バークレーと南カリフォルニア大学で学び、薬剤師になる道を選びました。

そして彼の両親は、その土地を数百万円で売りました。その土地は住宅地となり、彼らは多幸に溢れたまま引退しました。両親の死去に伴い、子供たちは多額の信託財産を相続しました、彼らも幸せになりましたね!

もちろん例外もあります。大学の学位を取得後、家業を継いだものの中には、在庫管理、新製品の導入、フランチャイズ化など、いわゆるビジネスのやり方を近代化する人もいます。

あるアルハンブラ高校の同僚教師は、カーメル市にあるベーグル店を購入し、青年時代に実家のドーナツ店で働きながら学んだ技術を応用したのです!

数世代に渡って家族経営を続けるには、沢山の課題があります。誰が大きな決断を下すのかといった問題があります。家族と一緒に仕事をすることで、対立や意見の相違が生じることもあります。

映画『二郎は鮨の夢を見る』をご覧になったことがある方は、二郎が息子にどれだけ厳しく接したかを覚えているかと思います。息子は何年もの間、寿司用の海苔を焼いたり、米を炊くだけでした。自分の店を切り盛りするのは、二郎が経営から身を引くのを待たなければならなかったのです。

風月堂はロサンゼルスで120年もの間家族経営を行っている

一方、数世代に渡るファミリービジネスの一員であることには、利点があります。すでにブランドが確立していれば、事業の成功や繁栄がすぐに手に入ります。(カリフォルニア州オレンジカウンティにある)田中農場が頭に浮かびますね。人気の農場見学ツアーに参加しようと、多くの人がオレンジカウンティを訪れます。また、風月堂には、毎日のように餅を買いに来る人がやってきます。

結局のところは、中国や日本の移民に対し、ビジネスチャンスを制限する障壁があったにもかかわらず、私たちの先駆者たちは、自分たちで経済的な機会をうみだし、それを子孫に引き継いだといえるでしょう。

 

*本稿は、2023年5月4日に『羅府新報』に発行された英文記事を日本語へ翻訳したものです。

 

© 2023 Bill Yee / Rafu Shimpo

ビジネス 子どもたち 家族経営 経営 経済学
執筆者について

ビル・イーは、アルハンブラ高校の元歴史教師。ビルの両親は中国南部からの移民。現在は南カリフォルニアに在住しているが、サンフランシスコ出身で、サンフランシスコジャイアンツと49ersのファン。日系人と結婚し、幸運にも日系アメリカ人大家族を持つ。退職後の趣味は、新聞へコラムを寄稿すること。

(2020年2月 更新)

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