アメリカの南北戦争(1861年4月〜65年5月)といえば、奴隷制度の存続などをめぐるアメリカの内戦であり、西部劇の舞台やテーマとしてテレビや映画で観るくらいのものというのが一般の日本人の理解ではないだろうか。日本との接点はありそうもない。
しかし、この南北戦争に実は二人の日本人が兵士として従軍していたという。いったいどういうことか。だれがなぜ従軍していたのか。素朴な疑問もさるころながら、アメリカの移民史という観点からも非常に興味をそそられる。
他国の戦争に従軍する日本人ということでは、かつてこのコラムでスペイン市民戦争(1936年〜1939年)に義勇兵として共和国陣営で戦った日本人、ジャック白井についてとりあげたことがある。函館出身の白井は密航の末ニューヨークで暮らし、そこから自ら進んでスペインに渡り参戦、戦死した。
時代を少しさかのぼれば、第一次世界大戦にアメリカ軍の軍人として従軍した日系アメリカ人もいる。こうした例はまれだが、まだ日本が開国する前に、それも南北戦争という他国の内戦に日本人がかかわったというのは不思議だ。
昨年出版された『南北戦争を戦った日本人ー幕末の環太平洋移民史』(筑摩書房)は、その事実に追った研究書でありノンフィクションだ。
日系アメリカ人の問い合わせから
著者は菅(七戸)美弥と北村新三。1969年生まれの菅は、東京学芸大学教授で専門はアメリカ史、移民・移住史。著書に『アメリカ・センサスと「人種」をめぐる境界──個票にみるマイノリティへの調査実態の歴史』(勁草書房、2021年アメリカ学会中原伸之賞受賞)などがある。
1940年生まれの北村は、神戸大学名誉教授で、システム工学専攻の工学博士。著書に『暗号に敗れた日本──太平洋戦争の明暗を分けた米軍の暗号解読』(共著、PHP研究所)などがある。
あるとき北村のもとに、日系アメリカ退役軍人協会(JAVA)のテリー・シマとジェフ・モリタから「南北戦争に従軍した日本生まれのふたりの兵士サイモン・ダンとジョン・ウィリアムズの本名、出身地などを知りたい」という問い合わせがあった。シマはハワイ生まれの日系二世で第二次大戦時は442連隊に所属、戦後はGHQで働いた。モリタはハワイ在住の日系三世。「もし日本人が南北戦争に従軍したことが事実なら、米陸軍における最初の日系人兵士であり、ぜひとも彼らの日本側の情報を得たい」という。
これを北村が菅に伝え、「南北戦争を戦った日本人についての、文理融合の研究プロジェクトが生まれた」(あとがきより)。しかし、長年日本人移民とアメリカ社会を研究してきた菅には、アメリカの内戦である南北戦争に日本人が従軍したとは、信じがたかった。
逆に言えば、もしそれが本当なら研究者としての好奇心を刺激するのは言うまでもない(ノンフィクションを書くものにとっても同様だが)。なぜ、従軍したのか。そもそも日本人の海外渡航が制限されているなかでどうやってアメリカに渡ったのか。密航したのだろうか。こうした疑問を抱き、アメリカのセンサス(国勢調査のようなもの)をはじめ、さまざまな記録や資料にあたり、「従軍した日本人」の具体像に明らかにしようとしたのが本書である。
まず、米国国立公文書館に保存された入隊記録によれば、サイモン・ダンは、住居はニューヨーク州、ブルックリン市。1863年12月7日、ブルックリンで陸軍に入隊。日本生まれ、21歳。ジョン・ウィリアムズは1864年8月25日、ブルックリンで陸軍に入隊。日本生まれ、22歳。このほか、記録から除隊の日時や職業、身長、肌や髪の色などがわかる。
また、南北戦争終結後のヴァージニア州アレクサンドリアの新聞に「合衆国陸軍兵士として戦争中に来て、それ以来ここに住んでいた日本人が亡くなって埋葬された」という記事があることがわかる。これらから著者は、南北戦争に従軍した日本人の存在をほぼ確信する。
ここからさらにセンサスをはじめ同時代の史料にあたっていくのだが、そう簡単には調査はすすまない。その大きな理由は、ひとつにはそもそも記録にある名前が日本人のものではないことだった。欧米風の名前、それもよくある名前なのでしぼっていくことがむずかしい。つぎに、二人の日本人が入隊した当時、日本人のコミュニティーは存在しなかったからだ。二人は単身でこの地に来ていたと考えられるため、他の日本人とのつながりからたどることができない。
漂流者、密航者……?
このように、まっすぐに対象にせまるのは至難だった。そこで、著者がとったアプローチの方法は、いくつかの仮説にもとづき、当時の状況や史実と照らし合わせてみて、存在したとするならどういう人物だと考えられるかを絞り込んでいくことだった。
この点は、研究者として専門的な知識と手法を駆使しながら迫っていく。開国前のごく初期の日本からアメリカへの移民や日本人の渡航状況を検証し、そこから南北戦争を戦った日本人像を浮かび上がらせようとする。
まだ、日本からアメリカへ公式に移民がはじまる前の話である。具体的には、ジョン万次郎やジョセフ・ヒコのような漂流者として、また船員として外国船航路の船に乗り込んで外国へ出た密航者として、あるいは幕末のアメリカへの使節団になんらかの形で随行した人物として、アメリカに渡った者のなかにその二人はいたのではないか、という推論を示す。なかでも、「漂流者ならびに脱国(ないし公的なミッションから脱落)した人物の可能性が高いと考えている」という。
結局、アメリカからの問い合わせのあった日本生まれの無名の二人の本名や出身地などはわからず、どうして南北戦争に関わったのかも不明のままだった。しかし、この二人を探すプロセスとそこから生まれた推論には、読者の想像をかきたてるものがある。
幕末の日本のどこから、なぜ、どのようにしてアメリカにたどりついたのか。南北戦争では、徴兵された者が金を払って別のものに代替兵として従軍してもらうこともあったというから、金のために戦争に行ったのか、その後の人生はどのようなものだったろうか。ひょっとして世の中に知られていないだけで、いまもその末裔がいるかもしれない……。想像を膨らませればフィクションもまた生まれてきそうである。
無名の者の歴史の意義
歴史として残っているのは、たいていは記録として残されたものであり、それは人物についていえば、自ら記録を残したものや記録に残されるような業績や肩書のある者である。無名のものの記録などほとんど残らない。
こう考えてみて、私はふと日本の民衆の歴史を底辺からとらえてきた学者沖浦和光の言葉を思い出した。著書『幻の漂白民・サンカ』のあとがきのなかで彼はこう言っている。「歴史のオモテ側でその表層をなぞるだけの論者は、彼ら漂白民の歴史は、国家の正史に登場することもない『余聞』にすぎないと言うだろう。(中略)私は、彼らの存在が歴史の余聞だったとは考えていない。ウラがなければオモテが成り立たず、カゲのない日向はそもそもありえない。ウラに潜む真実が描かれていないオモテだけの歴史論や人生論なんぞは、読む気もしない人が多いのではないか。」
「南北戦争に従軍した日本人」も無名ゆえ歴史のオモテには出て来ることはなく記録はほとんどない。が、それだけにその実像に迫るのは難易度は高く、意義あることではないだろうか。
(敬称略)
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