苦慮した中での国籍選択
パリオリンピックについて、日本のメディアは日本代表選手の動向、それも主としてメダルに絡んだ選手について何度も熱心に報じている。外国の選手の活躍や、マイナーな競技についても知りたいところだが、なかなかこれらは扱われない。
そんななかあるとき新聞の「日本出身の出口クリスタが金メダル」という見出しに目をひかれた。「日本人」とか「日本の」ではなく、「日本出身」という表現にである。彼女は柔道女子57キロ級のカナダ代表選手だが、生まれも育ちも日本なのであえて「日本出身」という言い方で日本の読者に訴えたのだ。
出口選手は1995年、長野県塩尻市の生まれ。父親がカナダ人で母親が日本人。3歳から柔道をはじめ、松本市の松商学園高校に進み、1年の時全国高校総体で優勝。その後山梨学院大に進むが、2017年にカナダ代表になる道を選んだ。
それまで日本とカナダの両国籍を持っていた出口選手は、日本の国籍法により22歳になるまでにどちらかの国籍を選択する必要があり、カナダ国籍を選んだ。日本で柔道を学び全日本柔道連盟(全柔連)の強化指定を受けている身だったが、あえて日本国籍を捨てカナダを選んだ理由などについて、長野県の信濃毎日新聞がまとめている。
同紙によれば、オリンピックに出場したいという強い気持ちから、日本国内での厳しい代表争いを勝ち抜くよりも、カナダの代表になる方が可能性が高いと考えてカナダ国籍を選んだという。
しかし、強化指定をしてくれた全柔連への恩義もあったことなどから、日本国籍を離れることには当然葛藤があったという。
「強化指定の辞退のため、大学の西田孝宏・総監督(67)とともに全柔連を訪ねた。西田監督が経緯を説明。最後に出口選手はあいさつを促されたが、言葉が出てこない。しばらくの沈黙の後、涙があふれ出した。『今まで強化指定してくれたことへの感謝。日本人じゃなくなることへの不安。思いがあふれてきたのかな』と西田監督。」(同紙デジタル8月2日配信)。
また、SNS(交流サイト)では、カナダ国籍を選んだことへの批判もあった。自分でも、日本代表として育ててもらったのに裏切ったと考える人がいるかもしれないという不安を感じていた。さらに、全日本の強化から外れることへの怖さもあった。
しかし、カナダにわたってからは、カナダ代表のポジティブな雰囲気のなかで、高いモチベーションを保つことができたという。
こうして、今回のオリンピックのカナダ代表に選出され、57キロ級で勝ち進み金メダルを獲得。するとカナダ代表ではあるが、出身の塩尻市では、市を挙げて出口選手を応援、塩尻総合文化センターにはパブリックビューイング会場も設けられ、市民や柔道関係者が詰めかけた。
同市庁舎には「祝金メダル 出口クリスタ選手」の垂れ幕と、出口選手の妹で52キロ級のカナダ代表として出場した出口ケリー選手の出場を祝う垂れ幕が並んでかけられた。また、出口選手を交えた祝勝パレードも検討されているというほど、国籍に関係なく地元出身の選手ということで祝賀の機運が高まっている。
アイデンティティの混乱も
出口選手が決勝で対戦したのは、韓国代表の許海実(ホ・ミミ)選手。韓国の新聞・中央新報や、通信社の聯合ニュースなどによると、早稲田大学の4年生でもある許選手は、2002年に韓国人の父親と日本人の母親の間に日本で生まれた在日3世で、幼い頃から日本で柔道を学んだ。
しかし、韓国代表になってオリンピックに出場してほしいという祖母の遺言に従い、2021年に日本国籍から離脱、韓国で選手生活を続け、今回のオリンピックには韓国代表として出場した。
中央日報日本語版(8月5日)の記事では、日韓の間で揺れた許選手の気持ちを、次のように紹介している。
「許海実は『生まれて20年間育った日本を離れて韓国に適応するのは容易なことではなかった』とし『自分でも韓国人なのか日本人なのかアイデンティティが混乱したこともあるが、偏見なく私を受け入れくれた女子代表チームのキム・ミジョン監督、所属チームのキム・ジョンフン監督、代表チームの先輩方のおかげで幸いなことにうまく適応することができた』と語った」。
許選手の祖先にあたる許碩氏は韓国が日本の植民地だった当時、抗日の檄文を書いたことで日本の警察に逮捕、投獄された。後に韓国政府から功績を称えられた。戦いを終え、許選手は同氏の石碑を訪ね、メダル獲得の報告をしたという報道もされている。
こうした背景をもつ、出口、許、両選手の対戦について、日本のメディアのなかには「日本にルーツのある海外選手の対決となった」(日本経済新聞)という報道もあった。
柔道女子57キロ級では、日本代表の舟久保遥香選手と、フランスのサラレオニー・シジク選手が銅メダルを獲得。これにより表彰台の4人のうち3人は、日本にゆかりのある選手となった。
「日系」、「母親が日本人」、「“日本勢”」?
金、銀、銅が、日本代表をはじめ、日本にゆかりがある選手で占められるという、オリンピックならではの珍しいケースが、スケートボード女子パークの表彰台で見られた。この競技では、日本の開心那が銀メダルを獲得したが、金メダルを獲得したオーストラリア代表のアリサ・トルーは、父親がオーストラリア人で母親が日本人。オーストラリアで育つが、名前は漢字で「愛理沙」ともかくという。銅メダルのイギリス代表スカイ・ブラウンは、父親がイギリス人で母親が日本人。宮崎県高鍋町で小中学校時代をおくった。
この3人の活躍について、日本のメディアは日本との関係を伝えているが、見出しを含めて、その表現の仕方がそれぞれ、苦慮とアイデアのあとがみられて興味深い。
例えば、日刊スポーツは「日本にルーツのある3人が表彰台独占 金トルー、銅ブラウンはともに日本人の母持つ」と報道。このほか 「 “日本勢”がスケボー表彰台独占 ルーツを共にする日豪英代表」(共同通信)、「『日本の母は強し』スケボー女子パーク、表彰台3選手の“共通点”」(毎日新聞)。「開心那はもちろん『金』も『銅』も母親は日本人…銅のブラウン『こんなに日本人がいるなんてね』」(読売新聞オンライン)、
共同通信の“日本勢”という言い方は、日本のメディアならではの、読者の関心を引きつける我田引水的な言い方ととられるかもしれないが、国籍は異なってもいわゆる「日本にゆかりの仲間」ととればいいのだろう。
日刊、毎日、読売に共通するのは、「母親が日本人」を強調した点だ。「日本の母は強し」は言い得て妙である。加えて、日本人読者の心をくすぐる狙いもある日本のメディアならではの表現だ。
「日本」との関係に引きつけて報じるのは、国や民族を意識しすぎだという批判もあるだろう。しかし、こうした日本にゆかりのある多くの選手が国際的に活躍しているということは、見方を変えれば、グローバル化したこの時代に、それぞれ多様なルーツをもつ日系のアスリートが活躍しているということでもある。
このことは、他の国の選手にもあてはまり、今や世界ではいろいろな「○○系」のアスリートが活躍しているのだろう。そして、塩尻市が、今は「カナダ人」となった出口クリスタルを郷土の誇りのように思い応援しているように、国の枠を超えて選手の活躍を称えるという動きが、自然に広がっているといえるのではないか。
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