ジェニ・エミコ・クイダ
(Jenni “Emiko” Kuida)
ジェニ・エミコ・クイダは、トニー・オオスミとともに『あなたが日系アメリカ人かどうかを見分ける101の方法』の共著者です。現在はコリアタウン青少年コミュニティセンターの助成金マネージャー、日系アメリカ人コミュニティサービスおよびベニス青少年評議会の理事を務めています。趣味はガーデニング、お盆参り、ポケモンGOです。
2017年8月更新
この執筆者によるストーリー
ダンスで囲む
2017年8月17日 • マヤ・クイダ=オスミ , ジェニ・エミコ・クイダ , トニー・オオスミ , エヴェリン・ヨシムラ , トレイシー・カトウ=キリヤマ
今月のニッケイ アンカバードでは、活動家/アーティストの家族と地元の伝説的人物でコミュニティ オーガナイザーによる特別な考察で、お盆の季節に別れを告げます。マイヤ、ジェニー、トニー クイダ オオスミは、お盆に先祖を偲んで踊るダンスと、コミュニティ、共通の苦難、ロサンゼルスへの敬意を結びつける詩を共有します。エブリン ヨシムラは、手放すこととダンス自体から湧き出るイメージについて考察した短いエッセイを私たちに提供します。これらの言葉が、お盆に心に浮かぶイメージと共鳴するだけで…
岡崎・久井田移住
2015年4月20日 • ジェニ・エミコ・クイダ
大統領令 9066 号が署名されたとき、両親は二人ともまだ幼かった。母の岡崎真知子は 4 歳から 7 歳まで 4 か所に住んでいた。サンタアニタ競馬場、ワイオミング州ハートマウンテン、テキサス州クリスタルシティ、ニュージャージー州シーブルックファーム。私の祖父、岡崎正志番長は天理教の牧師でしたが、牧師という職業柄、家族と離れ離れになっていました。祖父は1944年にクリスタルシティで祖母とその5人の子供たちと再会しました。9歳の娘スミは脳腫瘍でクリスタルシティで亡くなりました…
おばあちゃんの真似をしてガーデニングの遺伝子を受け継ぐ
2014年3月14日 • ジェニ・エミコ・クイダ
子どもの頃、クイダおばあちゃんの庭を歩いていたことを覚えています。おばあちゃんは 10 列か 12 列のさまざまな野菜を育てていて、古くて錆びた缶や道具もたくさんありました。クレンショーとジェファーソンの近くにあるおばあちゃんの小さな裏庭の庭には、実ったレモンの木のほか、おいしいトマト、キュウリ、ズッキーニがいっぱいでした。おばあちゃんが、家に持ち帰る採りたての野菜をエプロンにいっぱい詰めてかがんでいたとき、おばあちゃんの身長は 4 フィート半ありました。でも私にとって、お…
キンダーガクティビズムって言葉ですか?
2012年2月29日 • ジェニ・エミコ・クイダ
政治集会に子供を連れていくのは年齢相応ではないと言う人もいます。でも、私たちはマイヤを生後 2 週間のときから地域のイベントに連れて行っています (1942 年に大統領令 9066 号が署名された記念日を記念する追悼の日。この大統領令により、私の両親やトニーの祖父母を含む 11 万人の日系アメリカ人が強制収容されました)。また、毎年 6 回行っているマンザナー巡礼への最初の旅行は、彼女が生後 14 か月のときでした。会合やボランティア活動に関しては、私は以前ほど API /…
シーブルック農場 1945...タイの縫製労働者 1995
2012年2月20日 • ジェニ・エミコ・クイダ
日系アメリカ人によく質問してみると、必ず何らかのつながりがあることが分かります。従兄弟が誰それの隣人と同じ学校に通っていたとか、友達の大叔父があなたの父親とゴルフをしていたとか。私たちはコミュニティとして私たちを結びつけるつながりを常に探しているようです。私たち日系アメリカ人がよくする質問は、「あなた、あなたの両親、または祖父母はどのキャンプにいましたか?」です。私の場合、母の家族はサンタアニタ競馬場からワイオミング州ハートマウンテンへ移りました。文字通り何千人もの人がそう…
私の非現実的な人生経験: 正義のために立ち上がる
2012年2月14日 • ジェニ・エミコ・クイダ
どれほど迷惑なことであろうとも、リアリティ番組は今後も存在し続けるでしょう。私は「ザ・シュールリアル・ライフ」のエピソードを何度も見てきました。この番組は、6人の準有名人が、大量の酒とほのめかしとモダンな家具が揃った豪邸に集まるというものです。2002 年 11 月、私は 100 人のエキストラとともに、日系アメリカ人流の超現実的な生活を体験する映画プロジェクト「Stand Up for Justice」に参加しました。この映画は、日系市民権・補償協会(NCRR)とビジュア…
ミツギのクリスマス
2011年12月24日 • ジェニ・エミコ・クイダ
この物語は私の日本人の祖父たちに捧げます。私が会ったことのない久井田恵一と大隅好雄、そして私が思い出せたらよかったと思う番長岡崎正志です。山本貢さんはクリスマスの日に窓の外を見つめ、娘のロレーヌが敬老老人ホームに遊びに来てくれることを願っていた。彼女が最後に遊びに来てから何年も経っていた。貢さんは、50年近く前、唯一の娘であるロレーヌが生まれたとき、妻の澄子さんとどれほど興奮したか、今でも覚えている。そして、彼女が学校の初日にスキップしながら歩いて行ったときの彼女の笑顔が、…
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