ニッケイ物語 4—ニッケイ・ファミリー: 記憶、伝統、家族観
ニッケイ・ファミリーの役割や伝統は独特です。それらは移住した国の社会、政治、文化に関わるさまざまな経験をもとに幾代にもわたり進化してきました。
ディスカバー・ニッケイは「ニッケイ・ファミリー」をテーマに世界中からストーリーを募集しました。投稿作品を通し、みなさんがどのように家族から影響を受け、どのような家族観を持っているか、理解を深めることができました。
このシリーズのお気に入り作品は、ニマ会メンバーの投票と編集委員の選考により決定しました。
お気に入り作品はこちらです。
編集委員によるお気に入り作品:
- 日本語:
20歳を目前にしたこの夏、僕が知った祖母のHistory
川脇 大(著)
- 英語:
歩き去る:不屈の精神とガマン
ジェリ・オカモト・タナカ(著)
ドント・ウォーリー・ビー・“ハパ”
キミコ・メドロック(著)
- スペイン語:
父の冒険
マルタ・マレンコ(著)
- ポルトガル語:
我々の人生: 現在と過去そして未来
キヨミ・ナカニシ・ヤマダ (著)
ニマ会によるお気に入り作品
- 星23個:
両親への手紙
メアリー・スナダ
このシリーズのストーリー
私の肩の重荷
2015年10月19日 • マーシャ・タケダ=モリソン
これが起こったとき、自分が何歳だったかは正確には覚えていない。たぶん9歳か10歳。だが、ホテルの部屋がどんな様子で、どんな匂いがしたかははっきり覚えている。ベッドカバーは汚くて、かゆかった。すべてにカビ臭が漂っていた。それは、ハウスキーパーがきちんと掃除をせず、掃除機をカーペットの上で数回動かすだけで、それで終わりにしていたからだと思った。私はグラスで飲むのを拒んだ。なぜなら、しわしわの白い紙で包まれたグラスの縁に、はっきりと唇の跡が付いていたと断言できるからだ。その紙には…
母と再会した経緯
2015年10月15日 • チャンダ・イシサカ
日系家族というこの日記のテーマについて考えたとき、私は自分の家族がいかに私を形作ってきたか、しかし、私自身が日本人コミュニティーに関わっているときに、家族をほとんど含めていないことに気付きました。さらに、メキシコ人の母を日本人コミュニティーにどれだけ含めてきたでしょうか。昨年、私はジレンマに陥りました。母がシアトルに私を訪ねてくる予定だったのですが、私は実際はアイダホへ出発しなければなりませんでした。私の組織であるミニドカ巡礼計画委員会は、毎年恒例の巡礼旅行を企画しており、…
Vの1歳の誕生日
2015年10月14日 • レヒナ・アラカキ , マキシミリアノ・マタヨシ
私が初めて日本を訪れたのは、娘の V を救うためでした。彼女は生後数カ月で腫瘍を抱えて生まれましたが、ブエノスアイレスでは誰も彼女の手術をしたがりませんでした。そこで夫のアキが、沖縄で外科医をしている弟に電話をしました。それはすべて2週間で起こりました。私の義理の兄は、ある長谷川先生を知っていました。私たちはできるだけ早く旅行しなければなりませんでした。 40時間の旅の後、アキ、息子のM、娘のV、そして私は東京に到着しました。もう土曜日になってしまいましたが、計算外でした。…
ソルトスプリング島で田坂伊三郎氏の100年前の炭窯が発見される
2015年10月13日 • チャック・タサカ
「古いものが今や新しくなる」という古い諺があります。何千年もの間、和歌山県の職人たちは、侍の刀に打ち込む最高級の鋼を生産するために木炭を作っていました。これらの熟練した和歌山の職人は将軍に羨望の的でした。彼らは、鉄を溶かして武器を製造し、粘土の陶器を大量生産するための高品質で高品質の木炭の作り方を知っていました。電気とガスが導入されると、木炭作りは過去のものになりました。しかし、今日では、この種の木炭作りは再び流行しており、煙がほとんどなく高熱を発するため、鰻や鶏肉(焼き鳥…
三人の子どもたちへ ―命と縁のはなし―
2015年10月12日 • 尾原 敏郎
三人の子どもたちへ こんにちは。元気ですか? 今日は君たちに、自分たちがどこから来たのかを知ってほしいと思い、この手紙を書いています。難しい言い方をすれば、君たちの命の源、そして「縁」というものに触れてほしいという思いをこめて、この手紙を送ります。 今の君たちはそれぞれ4歳、2歳、そして7ヶ月だから、まだ何の事か分からないかもしれないけど、この手紙を読んでもらう日がくる事を願って、君たちの命の源そして縁にまつわる話をしたいと思います。とはいえ、お父さんができるのは、君…
歩き去る:不屈の精神とガマン
2015年10月9日 • ジェリ・オカモト・タナカ
「歩き去る」:私が子供の頃、父はほとんど全ての問題をこの方法で解決していました。 私が弟とケンカすると「外に出て歩いて忘れなさい」、頭痛がする、お腹が痛いと言えば「歩いて紛らわせなさい」、新しい学校に通うのが不安、宿題がわからないと言っても、答えは「忘れなさい」でした。当時の私には理解できませんでしたが、この信念が父の人生を突き動かし、ある時は父を救い、後に私の人生の教訓になりました。 日系アメリカ人の父は、身長173センチのずんぐりとした体型で肩幅が広く、ウェーブの…