https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1107/
ハワイのビジネスマン、開発者
(英語) ええ、完全に馴染んでいますよ。僕は、地元ハワイの学校に通い、東部のジョージタウン大学に進学しました。僕の家族は大学とのコネクションがあり、母の兄弟や家族にはジョージタウン大出身者がたくさんいました。僕が入学した時も、既に従兄弟が7人も通っていました。家族との強いつながりがあったので、僕もジョージタウンに行くことにしました。東海岸のビジネススクールの中でトップレベルの大学でもあったし、この大学の商学部を目指すことを決めたのです。しかもジョージタウンの文系プログラムも非常に優れていて、僕もその恩恵に預かることができました。僕が東海岸のワシントンDCで生活することになった経緯は、このようなことでした。
僕は、1年早く大学を卒業し、「もう1つ学位をとるか、議会で働けないだろうか。」と考えました。僕は父に電話し、イノウエ議員と面接できないか聞いてみました。面接こそできませんでしたが、井上議員の側近のオフィスで働くことになりました。そこで働く間、どのように法案が法律として制定されるのか、法律がどのように扱われ、弁護士が法律をどう利用するのか、といったことを理解することの重要性を目の当たりにしまた。そして僕は、自分が携わっている不動産ビジネスの観点から、法律の知識は役立つだろうと考えました。法科大学院に願書を送り、たくさんの合格通知が届きましたが、僕は住み慣れたジョージタウンに残ることを決めました。
日付: 2006年6月1日
場所: 米国、ハワイ州
インタビュアー: アケミ・キクムラ・ヤノ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
バート・A・コバヤシ・ジュニア氏(B.J.)が初めて建設業界で働いたのは、彼の祖父が起業し、父が経営するハワイ企業、アルバート・C・コバヤシ株式会社でした。1993年にジョージタウン大学を卒業し、ダニエル・イノウエ議員のワシントンD.C.オフィスで働いた際に、同郷の民主党議員であるイノウエ氏に、法律を学ぶよう勧められました。ジョージタウン大学で3年間不動産と企業法を学んだ後、父親の会社を継ぎ、カポレイ・シビック・センターの開発を手掛けました。また、兄妹やビジネスパートナーと共にコバヤシ・グループを設立し、コンドミニアムや高級ゴルフリゾートの開発に乗り出しました。コバヤシ氏は、ビジネス以外にも、ハワイの自然環境保護推進のための活動へも熱心に取り組んでいます。また、小林氏は、パートナーと共にギフト・ファンデーション・オブ・ハワイという基金を立ち上げた他、世界的な自然保護団体であるザ・ネイチャー・コンサーバンシーに参加するなど、地域活動にも積極的に参加しています。(2007年6月) ※パシフィック・ビジネス・ニュース紙より抜粋
良い助言を受けて (英語)
南カリフォルニアの産婦人科医(1913-2013年)
日本に移住して苦労したこと
(1979年生)群馬県大泉町在住の日系ブラジル人三世。デザイン事務所経営。
ポルトガル語の試験
一世教育者(1911年生)
ブラジルでの日本語教育
金の卵を育てる
寿司職人(1962年生)
移住地教育とパラグアイへの思い
パラグアイ駐日大使(1943年生)
最も運に恵まれた一世(英語)
帰米二世(1929年生)
復員兵援護法を利用して博士号を取得(英語)
日系二世、第442連隊戦闘団に所属し第二次世界大戦に従軍(1919 - 2015)
朝鮮戦争での戦闘参加を避けるため、ヨーロッパでの任務を希望(英語)
三世のビジネスマン(1935年生)
祖父が大好きだった曽祖父アラカキの話 (英語)
ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人
家族の日系ルーツと価値観 (英語)
日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事
ロードアイランドで直面した住宅差別(英語)
日系アメリカ人デザイナー、教育者、メディアテクノロジー先駆者(1934-2018年)
アメリカ生活への適応(英語)
広島で被爆した日系アメリカ人(1938年生)
舌足らずの話し方を直してくれた先生 (英語)
民主党政治家。3期ハワイの知事を務めた。(1926年生)
民族研究の内情 (英語)
(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者