https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1385/
連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)
(英語)一方で、裏ではいつも何か悪いことが起きていました。しばらくして、年上の若者たちが徴兵されていったのを覚えています。彼らは兵役訓練に借り出されました。そしてその後、彼らが戻ってくるのですが、怪我をしているのです。松場杖をついて歩いていたり。なので、彼らが何も語ろうとしなくても、何が起きているのかはわかりました。
理解できず変に思ったのは、年上の若者たちは収容所に入れられ、18歳になると徴兵される。軍隊に入るのに、「なぜ収容所に居続ける必要があるのか?」と思っていました。全く理解できませんでしたが、私は9歳でしたので、そこまで深くは追求しませんでした。
日付: 2014年7月2日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 加藤 さくら
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association
カリフォルニア州サンタマリアで生まれる。アツシ・ウォーレス・タシマ判事は、日系アメリカ人としては始めて、アジア系アメリカ人としては3人目の連邦控訴裁判官となった。タシマ氏は移民の一世のもとに生まれ、幼少期の3年間をアリゾナ州ポストンにある強制収容所で過ごす。タシマ氏が1958年にハーバード大学法科大学院に入学したとき、ハーバードにいたアジア系アメリカ人は4名だけであった。その後も、タシマ氏は連邦判事として34年の長い経歴をリードし続けてきた。1980年、カーター大統領によってカリフォルニアの中心地区連邦地方裁判所判事に任命。合衆国連邦地方裁判所に15年務めた後、クリントン大統領がタシマ氏を、ウエストコーストの九つの州を管轄する第九巡回区連邦控訴裁判所に昇進させた。2004年、タシマ氏はシニアの地位となり、現在カリフォルニア州パサデナにある第9巡回パサデナ裁判所にて判事を務めている。(2014年8月)
スウィングを愛した二世の若者達(英語)
音楽家 (1922年)
第442連隊戦闘団に所属していた夫のジョージ(英語)
(1924年生)美容師、第二次大戦中アリゾナ州ポストンに収容
母親の財布
(1938年生まれ) 日系アメリカ人の画家、版画家