https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1766/
(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人
私は美術が好きで、絵を描いたり、そういうことをたくさんやっていました。先生たちは私が絵が上手いと知って、週末に先生の家に行って子供たちのために壁に絵を描いてくれないかと頼んできました。お昼ご飯も食べさせてくれるしね。小学校の頃はそういうことをやっていました。
中学校でも、私が通っていた文法学校は私のことを覚えていて、文法学校に行って舞台用の絵を描いてくれないかと聞いてきたんです。中学校から文法学校に行ってこれをやるために、先生にこれをしていいか聞いて、私がやれるように手配してくれたんです。高校では先生たちのためにいろいろやりました。美術の先生が教師会のランチョンマットをデザインしてくれないかと頼んできたり、ディナーパーティーがあって、私は彼らのためにランチョンマットをデザインしなければならなかったり、そういうことがありました。私はだんだん馴染むようになり、人生を歩むにつれて外国人であることを忘れるようになりました。
日付: 2019年9月20日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: トム・イケダ、西村 陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
ジョージ・カズハル・ナガヌマは、1938年にペルーのリマで一世の両親のもとに生まれました。第二次世界大戦中、家族は船に乗らざるを得ず、テキサス州クリスタルシティに収容されました。戦争が終わった後も、彼らは行くところもなくそこに留まりました。カリフォルニア州サンフランシスコの牧師の援助により、彼らは脱出することができ、そこで仕事と住居を見つけることができました。ジョージはサンフランシスコでボーイスカウトに参加し、部隊とともに日本を訪問することができました。彼はアメリカ陸軍に入隊し、事務タイピストとして働きました。 (2020年6月)
多様なメンバーを持つサンノゼ太鼓(英語)
サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督
外からみた母国アメリカ(英語)
日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)
日本の妻の家族(英語)
日本人市民としての意識の欠如(英語)
「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)
日本語能力の欠如(英語)
日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)
日本文化の伝統を保存(英語)
アメリカと日本のいいところを受け継ぐ(英語)
アートをサポートすることの重要性(英語)
イラストレーター、デザイナー
余所者(英語)
南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)
両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)
沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)
10代のサトウキビ畑で働いた経験が、スポーツ選手としてのトレーニングに役立つ
ニックネーム(英語)
カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)
日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)
ワイキキで育った経験(英語)
ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)
太鼓演奏の哲学(英語)
サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)