https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/253/
(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者
(英語) 僕は日系アメリカ人の体験について研究している日本人学者が少し気になっていてるんです。自分の枠組みの中で(日系アメリカ人に関する事柄について)推論を立てるときには気をつけるよう忠告してきたんです。日本人学者は彼ら自身の観点で多くの事柄について述べることができるので、日系アメリカ人研究をするにあたりこれはとても重要なことだと思います。
でも、物事をどの視点から見るかが重要であって、自分たちのアイデンティティは自分たちの視点から見るべきだと日本の学者へ言ってきたんです。「もしあなたが自分のアイデンティティについての質問の答えを探しているなら、ルース・ベネディクトの『菊と刀』という本から始めますか?」と。また、「戦争中に日本人としてのアイデンティティについて、日系アメリカ人にインタビューした著名な文化人類学者によってすでにこのような研究はなされているんです」と言ってあげました。「もし本当に自分のアイデンティティについて知りたいのであれば、『菊と刀』のような本を読むことから始めますか?確かに、その本を読むことは大切ですが、僕だったら必ず自分自身の視点から(アイデンティティについて考え)始めますよ」ってね。「あなた自身の日本での体験や教育をもとに、さまざまな推論を立てることができるんです。だから、もし世界中にいる日本人移民の研究をするのであれば、まず自分自身の推論を試しなさい」って言ったんです。
日付: 2004年1月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アート・ハンセン
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
ジェームス・ヒラバヤシ氏は、20世紀初期に米国北西部太平洋岸に移住した勤勉な農民の息子として生まれました。1942年、当時高校3年生だったヒラバヤシ氏は、パインデール集合センターに一時的に拘留されましたが、その後北カリフォルニアのツールレイクの収容所へ移送、抑留されました。
第二次世界大戦後、シアトルのワシントン大学で人類学の文学士号(BA)と文学修士号(MA)取得し、その後ハーバード大学で博士号(Ph.D)を取得しました。現在はサンフランシスコ州立大学の名誉教授であり、合衆国で初めて設立された民族研究学部の学部長を務めました。そのほかにも、東京大学やアルバータ大学(カナダ)、アーマド・ベロ大学(ナイジェリアのザリア)での研究・教歴を持っています。ヒラバヤシ氏は、2012年5月1日、85歳で亡くなりました。(2014年6月)
日本人でもありアメリカ人でもある(英語)
音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生)
両親は新一世(英語)
ペルー系沖縄人としての両親のアイデンティティ(英語)
ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人
沖縄文化の理解(英語)
本州の人々の沖縄人に対する偏見(英語)
共感する米国的な価値観(英語)
三か国語を使った沖縄での活動(英語)
母親から受け継いだモットー(英語)
日系三世、カリフォルニア州ロサンゼルス郡最高裁判事
隣人の庭で日本語学校を始めた母(英語)
詩を通して自分を表現(英語)
帰米二世、詩人、活動家(1923年生)
「ノーーノー・ボーイ」となった兄の理由(英語)
エスコバールについて(スペイン語)
日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)
ニッケイの定義(英語)
米国在住の日系コロンビア人(1974年生)
人種差別が彼女を初のトランスジェンダーの弁護士に育てた
(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士
カミングアウトが家族に与えた影響
(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。