https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/258/
日本人移民の衣服専門家・研究者
(英語) 私は熊本で生まれました。日本で生まれたのは8人兄弟姉妹の中で私だけです。私が生まれて3ヶ月後、父は子供たちを育て教育するのにハワイのような(良い)環境が(熊本には)ないと思ったようです。子供たち自身もハワイのライフスタイルを恋しがっていたようですしね。また父は(ハワイから)帰国した時たくさんのお金を持ち帰ってきたので、親戚がいつも父にお金を借りていたんです。だから、父はお金がなくなる前にハワイに帰ったほうがいいと思ったんでしょう。
私の(ハワイの)生活はちょっと変わったスタートでしたね。私達は古い砂糖会社の日本人キャンプと呼ばれるCamp Oneに落ち着きました。家は砂糖精製所のすぐそばで、プランテーションが生活の中心だったんです。全ての作業がそこで行なわれました。だから、労働者たちが家のすぐ前や裏にある未舗装の道を歩いていくのを毎朝見ていました。職種によって労働者の服の種類が違うことになんとなく気付いていましたね。
日付: 2004年2月19日
場所: 米国、ハワイ州
インタビュアー: リサ・イタガキ、クリッシー・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
バーバラ・カワカミ氏は1921年熊本県に生まれました。彼女の家は封建時代からの農家で、そこで350年余りの歴史を持つ旧家でした。ハワイのオワフ島にあるオワフ砂糖農園で育った彼女は、仕立て屋・家政婦として働いていました。しかし、50歳を過ぎた頃、高校進学を決意し、その後テキスタイル・アンド・クロージング(繊維・衣服)の理学士号(BS)とアジア学の文学修士号(MA)を取得しました。カワカミ氏は日本人移民の衣料を専門とするストーリー・テラーであり、学者でもあります。(2004年2月19日)
アメリカのイメージ(英語)
ハワイ出身の三世。教師・ビジネスウーマンとして日本在住。
父との思い出(英語)
一世医師の娘
日本の妻の家族(英語)
日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)
日本の印象(英語)
「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)
真珠湾攻撃が家族に与えた影響(英語)
作家(1934年生)
お正月料理(英語)
日本在住、カリフォルニア生まれのビジネスウーマン。祖母である山野愛子の後を継ぎ、美容界で活躍。(1964年生)
収容所での最初の印象 (英語)
雑誌社での就職(英語)
南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)
両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)
沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)
家計を助けるために砂糖きび畑で働いた10代の頃の経験 (英語)
米国で最初に訪れた庭園(英語)
一世のランドスケープアーキテクト(1940~2016年)
渡米の理由
太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)
家族で日本の伝統的お正月をお祝い(英語)
サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)
ワイキキで育った経験(英語)
ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)
真珠湾攻撃の後の疑惑(英語)