https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/299/
ハワイ出身の三世。教師・ビジネスウーマンとして日本在住。
(英語)日本人にとって、アメリカ人といえば白人もしくはアジア人ではないアメリカ人なんです。だからアジア系アメリカ人、特に日系アメリカ人に会った場合、彼らが何人なのか、自分たちの持つ人種枠のどこにあてはめればいいのかとまどってしまうようです。なので、おそらく私と出会ったことで、多くの日本人たちはそういう考えを変えたと思います。でも、そういうことを通して私自身が日本人でもありアメリカ人でもあることに気付いたんです。私は日本人かアメリカ人のどちらかではなくて両方なんです。多くの日本人は「それではあなたの母親がアメリカ人ってことなんですか?」って聞くんですよ。「いいえ、私の父もアメリカ人なんですよ。」と答えると、彼らはびっくりするんです。「でも、あなたは日本人の名前を持ってますよね?」「ええ、父も母も人種的には日本人だけど、国籍はアメリカなんです。両親は生まれも育ちもアメリカですから。」と、こういうふうにして会話が広がっていくんです。 あと、いろいろな意味で日本人とは対照的で、自分が西洋人だと感じることもあるんです。とはいえ、ハワイで生まれ育った人にとって、日本人でもありアメリカ人でもあることはあまり珍しいことではないと思います。日本語を勉強し、日本のある習慣を身につけることは、普通のことなんです。しかし、ここに住む日本人にとってみれば、珍しいことなんです。「どうやって両方の文化も実践するのか?」というような感じですね。両方の文化が共存しないことが、(日本では)一般的なんです。ある時、生徒もしくは先生でさえ「あなたがハーフなのはあなたの両親のどちら側からきているのですか?」と聞いてきたので、私はこう言ったんです。「いいえ、私はハーフではありませんよ。私はアメリカ国籍なので、100%アメリカ人です。でも、私は100パーセント日本人でもあります。というのも、私の祖父母はみんな、もとは日本出身ですから。だから、私はハーフではなく、むしろアメリカ人でありながら日本人でもある200パーセントの人だと思います。」日本人にとって、その答えは全く別の概念だと思います。
日付: 2003年11月8日
場所: 日本、徳島県
インタビュアー: アート・ノムラ
提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』
アン・ナカムラ氏は、ハワイ育ちの在日日系アメリカ人三世です。彼女は40代半ばの独身女性で、日本において教育・ビジネスの両分野でキャリアを築き上げたユニークな経験を持っています。インタビューの中で、以前に比べ日本人女性の婚期が遅くなり、独身をとおす女性も増えていることを指摘し、このような傾向は専門職へ就いている女性に多く見られると述べています。これは自分のような働く独身女性を受け入れる社会体制が日本で発展したことの結果であると見ています。以前は教師であれば女性でも結婚後に仕事を続けることは可能でしたが、ビジネスの分野では結婚を機に退職することが一般的でした。彼女は、「働く独身女性の模範」としてよりもむしろ、伝統に縛られない女性として日本社会に受け入れられていると考えています。
また、ハワイにいた頃は西洋とアジアの価値観や行動の違いに戸惑いを感じたことがあったようですが、日本で生活することによってこの違いを受け入れることができるようになったそうです。彼女は自分の家族がいるハワイへ帰りたいと思う反面、自分の仕事を日本で続けたいという相反する気持ちを持っています。日本では以前に比べより多くの外国人を見かけるようになり、「外人」の受け入れに対してもより寛大になっています。現在(2003年)、日本在住15年。自分でもこれほど長く日本で生活することになるとは想像していなかったようです。彼女は初め日系ビザで日本に滞在していましたが、現在は永住権を持っています。(2003年11月8日)
アメリカ軍に捕らえられた祖父(英語)
ハワイ生まれの元銀行幹部職員(1952年生)
日系人としてハワイで育つ(英語)
日本人でもありアメリカ人でもある(英語)
音楽家、作曲家、ソングライター(1975年生)
両親は新一世(英語)
ペルー系沖縄人としての両親のアイデンティティ(英語)
ペルー出身の両親を持つ沖縄系アメリカ人
沖縄文化の理解(英語)
本州の人々の沖縄人に対する偏見(英語)
共感する米国的な価値観(英語)
三か国語を使った沖縄での活動(英語)
詩を通して自分を表現(英語)
帰米二世、詩人、活動家(1923年生)
エスコバールについて(スペイン語)
日本在住の日系アルゼンチン人、二世(1962年生)
ニッケイの定義(英語)
米国在住の日系コロンビア人(1974年生)
カミングアウトが家族に与えた影響
(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。