https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/361/
太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)
30年たって、見渡したら、なんかいっぱい増えたんだけど、これは日本の太鼓だよ、日系人の太鼓だよという、そういうねアイデンティティみたいのを持たないような太鼓が、たくさん増えちゃったと僕は思うんですね。これ何とかしないと、これから先、これが主流になっててね。で、あの日本の太鼓とは言えない、日系の太鼓とも、まぁ、いやその日系の太鼓は何だと言われると、ちょっと答えに難しいとこがあるんだけど、ただ太鼓じゃない太鼓が主流になって、もうわけのわかんないものになっちゃうんじゃないかなっていう、そういう心配があって。それで、まあ何かやんなきゃいけないということで、もう少し日系のね、このアメリカでやってる人たち、あの、全部が全部じゃないんですけど、やる気を持ってもらいたいなと。そうすればもうちょっと真剣に、あの、取り組んで欲しいな。遊びでやってるなら、遊びっていうかね、あの楽しみでやってるのはそれはそれでいいんだけど、もうちょっと同じ時間を使って練習してねやるんだから、もうちょっと勉強すればね、もうちょっと良くなると。で、その、ただそのそういう気持ちに皆さんが気づいてないんじゃないか、というところを考えて、それだったら、例えばそれじゃあそういう人たちをやる気にしてもらう、するにはどうしたらいいのあかなぁっていろいろ考えて、じゃああのコンテストをやればね、主催すればひょっとしたら参加してくれる人たちはね、多分皆さん、あの今まで以上に真剣に練習をつんでくるだろうし、いろんなアイデアを考えてくるだろうし、そうすればそれだけね、そのグループはレベルがアップすると(思うんです)。
日付: 2005年4月1日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アン・カネコ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
本郷悦男氏は、東京で生まれ育った新一世です。東京で太鼓を始めた本郷氏は、1968年にカリフォルニに太鼓グループが設立されたという新聞記事を読み、アメリカで太鼓を演奏することに憧れを持つようになりました。1973年ついに渡米を実現させた彼は、太鼓演奏ができる場所を探し、ロングビーチの仏教寺のお盆祭りで初めて太鼓を演奏する機会に恵まれます。その後まもなくして、南米へ旅に出ることを決意し、各地の日系コミュニティーを訪れ、地元のお祭りで太鼓を演奏しました。
南米旅行を終えた本郷氏は、アメリカへ戻り、造園業を始めました。1977年、ロサンゼルス祭り太鼓を結成し、現在は5つの太鼓グループで100人以上の生徒に教えています。L.A夢幻太鼓(1988年設立)ベニス光心太鼓(1992年設立)、L.A太鼓沖田組(1996年設立)、小学2年生から5年生を対象にした学校のプログラムとしてのエルマリノ・レインボー太鼓が残りの4つのグループです。本郷氏は、2019年10月28日70歳でお亡くなりになりました。(2021年6月)
伝統的音楽「雅楽」を演奏することによって形成されたアイデンティティ(英語)
ロサンゼルスの洗心仏教寺の開教使・緊那羅(きんなら)太鼓の共同創始者。
太鼓から感じる力強さ(英語)
サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督
自己表現としての太鼓(英語)
多様なメンバーを持つサンノゼ太鼓(英語)
日系アメリカ人の太鼓を日本へ(英語)
イギリスの太鼓グループ:グローバル太鼓コミュニティの形成(英語)
オリジナルの太鼓の型を発展(英語)
サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)
バンクーバーに太鼓を紹介(英語)
太鼓演奏の哲学(英語)
太鼓奏者の定義(英語)
ミュージシャンか僧侶かの選択 (英語)
音楽家、芸術家、教育者(1949年生)
自分たちで生み出した日系アメリカ人太鼓 (英語)
日本の太鼓とは違う日系太鼓 (英語)
女性の太鼓奏者 (英語)
両親に反対された太鼓奏者としての道 (英語)