ディスカバー・ニッケイ

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二世にとってのパフォーミング・アーツ(英語)

(英語) 1968年に初めてこの寺に来た時、僕は初めて日系アメリカ人のコミュニティと出会ったんです。僕はそれまで日系人のコミュニティのことは何も知らなかったんです。とても感銘を受けたんですよ。僕の知っていることもあれば、僕の目にはとても不思議に映ることもあって、すごく引きつけられたんです。そのうちの1つに、一世の人たちが今でも余興としての伝統を楽しんでいるということがあったんです。一世の人に歌か何かを披露してくれるよう頼んでも、みんな「いえいえ、私にはとてもとても・・・」と言うんですけど、みんな歌詞カードを取り出すんです。誰もが自分の歌詞カードを持っていて、この世代の人たちにとっては伝統なんですね。

でも二世の世代には、こういった伝統は突然立ち消えてしまうんです。二世は日本の伝統には関わりを持ちたがりませんし、伝統と共に育てられなかったんですね。彼らは伝統を恥じながら育ったんです。でも何か大きな行事があって余興か何かが必要になると、彼らは自分の子供たちに向かって、「みんなで何かやりなさい」と言って、彼らは自分の子供たちに何かさせるようになったんです。パフォーマンスするのは突如彼らの子供たちの役目になった訳です。だから二世世代はパフォーミング・アーツの分野には足を踏み入れなかったんですよ。二世世代は受け継がず、彼らの子供たちの方に受け継がれたんですね。二世にとっては、それはただ子供っぽいことだったんですよ。

その点、一世の人たちにしてみれば、何か余興ができなければ一人前ではなかったんです。詩を朗読したり、箸を鼻に入れて踊ったりすることでも、なにかできなければ、洗練されていないと見なされていたんです。この違いはずいぶんはっきりしているし、見ていてもすぐわかるんですよ。

ノブコが有名になるまでは、子供たちにとって、花祭りや成道会(釈迦の成道(悟りを開いた事)を記念して行われる法要)などでパフォーマンスをすることは一大イベントだったんです。こうして、三世たちはみんなこういう伝統に興味を持ったんですよ。やる気満々でね。僕みたいに音痴な人だって歌をうたい始めたんですからね。こういったことを目にすることはとても興味深かったですね。


芸術 文化 世代 アイデンティティ 移民 移住 (immigration) 一世 日本 移住 (migration) 二世 三世

日付: 2004年12月3日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

マサオ・コダニ開教使は浄土真宗の三世の僧侶で、アメリカで2番目に結成された初の日系アメリカ人仏教徒による太鼓グループ、緊那羅(きんなら)太鼓の共同創設者です。

コダニ開教使はカリフォルニア州グレンデールで生まれ、第2次世界大戦中はポストンの強制収容所に家族とともに収容されました。戦後、彼の家族はロサンゼルスへ戻り、ワッツと呼ばれるアフリカ系アメリカ人の多い地域へ住みました。彼の家族は仏教徒でしたが、彼の両親は子供たちが社会に簡単に馴染めるようにと東ロサンゼルスのエバグリーン・バプティスト教会へ通わせました。 コダニ氏はセンテニアル高校を卒業後、カリフォルニア大学サンタバーバラ校へ進学し、東アジア研究の学位を取得しました。在学中、西本願寺のアート・タケモト開教使と親密になり、彼の影響を受け、仏教を勉強するために日本の龍谷大学へ留学をしました。日本で学業を終えた後、アメリカへ戻り、サウスセントラルロサンゼルスの洗心仏教寺に配属されました。 1969年、さまざまな経験を通して、法楽、すなわち仏陀・達磨を楽しむことを目的に、日系アメリカ人仏教徒による組太鼓グループ緊那羅太鼓をお寺のメンバーとともに結成しました。彼らの曲『阿修羅』はアメリカの太鼓レパートリーの中で最もよく使われる練習曲のひとつです。(2004年12月3日)

Robert (Bob) Kiyoshi Okasaki
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ボブ・キヨシ・オカサキ

渡日に対する決断に祖母の影響(英語)

日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)

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Masakatsu Jaime Ashimine Oshiro
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マサカツ・ハイメ・アシミネ・オオシロ

幸福のために可能な選択も... (スペイン語)

ボリビア元駐日大使 (1958-2014年)

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Masako Iino
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飯野正子

日本人移民に興味を持ったきっかけ

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

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Masako Iino
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飯野正子

日系人とは?

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

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Masako Iino
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飯野正子

日系人から学んだこと

津田塾大学学長、日本人の日系史専門家

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Frances Midori Tashiro Kaji
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フランセス・ミドリ・タシロ・カジ

医師免許取得のためトリリンガルになった父 (英語)

一世医師の娘(1928-2016年)

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James Hirabayashi
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ジェームス・ヒラバヤシ

ニックネーム (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

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James Hirabayashi
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ジェームス・ヒラバヤシ

前後関係・時代背景の織り成す意味 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

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James Hirabayashi
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ジェームス・ヒラバヤシ

日系人を研究している日本人研究者の推論 (英語)

(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者

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Steve Kaji
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スティーブ・カジ

FOB - 新参者 (英語)

ハワイ生まれの在日日系人。YMCAの英語教師。

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Venancio Shinki
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ベナンシオ・シンキ

日本語学校での偏見 (スペイン語)

日系ペルー人画家 (1932-2016年)

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Mike Shinoda
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マイク・シノダ

日本への親近感(英語)

ミュージシャン、プロデューサー、アーティスト(1977年生)

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Akira Watanabe
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アキラ・ワタナベ

エイサー:近代的な部分と伝統(スペイン語)

ペルーの琉球祭太鼓のディレクター(1974年生)

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Frances Midori Tashiro Kaji
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フランセス・ミドリ・タシロ・カジ

父の裁判を知る (英語)

一世医師の娘(1928-2016年)

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PJ Hirabayashi
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PJ・ヒラバヤシ

太鼓から感じる力強さ(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督

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