https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/559/
サンノゼ太鼓の共同設立者・製作監督
(英語) 去年(2004年)12月にイギリスへ行き、当時は私たちのグループに居たけれど、1996年から97年まで練習生だった人を訪ねたんです。彼はジョナサン・カービィと言って、サンノゼ太鼓での経験に魅了され、イギリスへ戻った後も太鼓のグループを始めずにはいられなかったんですね。日本人でも日系でもない彼は、自分が文化的背景を基盤とした太鼓は始められないと思っていたし、グループのメンバーもまた日本人でもアジア人でもなかったんです。でも彼は、「僕らは(太鼓の軸となっている)信念を基に活動している」と言っていました。そして彼は、サンノゼ太鼓の信念を、彼ら自身が太鼓を叩く上での基盤として取り入れたんです。私たちは自分が育てられた文化を通した体験によって強くなれたと感じていて、彼もまた太鼓演奏が、彼自身のイギリス人としてのルーツを学ぶとても良い方法だと感じたんです。そしてそれに彼自身の創造性を織り交ぜ、イギリスの影響が濃い作曲に繋がったんです。また、太鼓グループとしてどの様に活動し、集団を引っ張っていけるか、という意味でも彼は太鼓の基となる信念や哲学を駆使しているんですね。まさにグローバル太鼓コミュニティの一端を担っているんです。
日付: 2005年1月26日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: アート・ハンセン、ソージン・キム
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
パティ・ジョー(通称PJ)・ヒラバヤシ氏はアメリカで最も著名な女性の太鼓奏者の一人です。北カリフォルニア州で生まれ育った彼女は、カリフォルニア州立大学ヘイワード校へ進学、そこでアジア系アメリカ人運動に参加するようになりました。その後、彼女はカリフォルニア大学バークレイ校へ編入・卒業し、日本へ1年間滞在しました。帰国後はサンノゼ州立大学の修士課程で都市地域計画学部を専攻しました。大学院在籍中はアジア系アメリカ人研究センターの所長代行として働くかたわら、サンノゼの日本町の将来についての修士論文を書きあげました。
1974年1月、創始者の一人としてサンノゼ太鼓を立ち上げました。現在はサンノゼ太鼓の製作監督として活躍しています。アジア系アメリカ人運動から受けた影響を生かし、太鼓演奏だけでなく、太鼓指導、教育、作曲、ツアー、ワークショップ、学校の課外活動プログラムなどを行っています。(2005年1月26日)
バンクーバーに太鼓を紹介(英語)
サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)
太鼓演奏の哲学(英語)
家族以外の人前で歌うことはなかった演歌(英語)
演歌歌手(1981年生)
日本舞踊を通して感じる日本人・アメリカ人の両アイデンティティ(英語)
日本舞踊・歌舞伎役者 (1918-2023)
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歌詞の意味を伝えたい(英語)
伝統からの脱却(英語)
和太鼓奏者・アーティスト。太鼓センター・オブ・ザ・パシフィック(Taiko Center of the Pacific)の芸術監督。(1952年生)
アメリカで太鼓を始めた理由(英語)
新一世。北米和太鼓の第一人者。1968年にサンフランシスコ太鼓道場を設立。(1943年生)
ハワイ島コナのコミュニティ(英語)
弁護士、MIS退役軍人、フランシス&サラ・ソギ財団創設者 (1923-2011年)
タイア道場(英語)
日本の音楽教育(英語)
アメリカの太鼓と日本の太鼓の違い(英語)
夢-「太鼓」が英語の辞書に(英語)
『青い目の人形』
アメリカ最大のグラジオラス球根農園の設立者 (1914-2018)
紅白へ出場