(英語) (戦前のロサンゼルスの)East First Streetは日系アメリカ人コミュニティーの中心で、みんながそこに来ていたんです。でも戦後はすっかり変わってしまい、誰もそこへは行かなくなってしまいました。そこに行くのがなんとなく怖かったというのもありますし、とにかくそのまますーっと消えてしまいたかったんですね。リトル東京の記事を書いた時に調べたのですが、戦後は(日本人に代わって)アフリカ系アメリカ人やメキシコ人の集る場所になったようです。
そういえば(最近この場所に関連して)偶然の出来事がありました。私がまだ若い時、確か14歳か15歳だったと思いますが、ロング・ビーチの鼓笛隊でバトンガールをしていたんです。その時、高野山ボーイスカウトの鼓笛隊がイーストLA、つまりEast Fist Streetで、再び音楽隊を結成することになり、一緒にやらないかと誘われたんです。あれは2世ウィークの一環だったので、確か1948年か49年頃だったと思います。それでその音楽隊に参加することになり、他の女の子2人とバトンをくるくる回しながら、Far East Caféレストランの前などを通りFirst Streetを行進したんです。
こうして2、3年前、二世ウィークの、何ていったかしら、グランド・マーシャルといったかしらね、まあその呼び方はともかく、イベントに来るよう誘われ、それでオープンカーに乗ってパレードに参加したんです。オープンカーは高野山ボーイスカウトに誘導され、私はパレードの間中ずっと(感動して)泣いていました。あれ以来ずっと足を踏み入れていなかったこの場所に再び来て、解体中のFar East Caféレストランの前を通り過ぎていく・・・「すごいわ!昔がそのまま再現されているみたい!でも今回はオープンカーだけど!」と言いました。50年前はボーイスカウトバンドの前を(歩いて)行進していたましたからね。
ジーン・ワカツキ・ヒューストンは『マンザナールよ、さらば-強制収容された日系少女の心の記録(Farewell to Manzanar)』(1975年、現代史出版社)の共著者としてよく知られています。1934年、カリフォルニア州イングルウッドに10人兄弟の末っ子として生まれました。幼少時代は南カリフォルニアで過ごしていましたが、1942年、7歳にして家族とともにカリフォルニア州マンザナーにある強制収容所へ収監されました。
1971年、マンザナーで生まれた甥に収容所の体験について尋ねられました。彼は両親に同じことを尋ねたのですが、話してくれなかったそうです。ヒューストン氏は甥にかいつまんで伝えるため、自らの体験談を書き記すことにしました。夫とともにFarewell to Manzanarを書きあげました。1972年に出版されたこの本は、彼女だけでなく彼女の家族の戦前、戦中、戦後の体験を書き記してあります。現在では、多くのアメリカの学校で日系アメリカ人の収容所体験を教えるための教材のひとつとして使われています。また、この本は1976年にテレビ映画化されており、ヒューマニタス賞を受賞。エミー賞のドラマ部門脚本賞にもノミネートされました。
Farewell to Manzanar以来、ジーンは夫とともに作家活動を続けています。2003年には、初の小説The Legend of Fire Horse Womenを発表しました。さらに、大学やコミュニティ機関で数々の講演を行っています。2006年には彼女の社会への貢献が認められ、全米日系人博物館より賞が送られました。(2006年11月25日)