https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1175/
羅府新報創設者の娘(1908年生)
(英語・日本語)あれは1917年だったと思います。スペイン風邪が世界中に蔓延してました。だから、日本人のドクターたちは、日本人のための病院を開こうと決めたんです。
私はロサンゼルスで生まれました。この古い病院のわりに近いところで、生まれたんだそうですけど。古い家でした。うちは、北側にあって病院は西に面してました。それであまり関係が無くて、何が病院で起こっているかわかりませんでしたね。
ドクター・タシロが一番ニューホスピタル(新しい病院)を建てる時にリーダーだったのじゃないかと思っているんですけど。
私が一番覚えているのはベイビードクター(小児科医)ですよね。イトウ・キュウジドクターね。ケンとキョウコがよく風邪を引くのでね、冬になると、ドクターのところへよく連れて行きましたから。
あれは確かケンが生まれたときだったと思うんですけど、病院にいたんです。その時ビック・アースクウェイク(大地震)があったと思うんです。一人の中国人の患者さんが手術をしたんですけど、地震がおきたときに、(びっくりして)廊下を駆け出してました。
あれは、1933年だったかしら。 ナース(看護婦さん)は皆良くてくださったから、そう云うほうでは良かったと思うの。ニュー・ホスピタル(新しい病院 )はやはり色々ニュー・イクイップメント(新しい設備)があるので、良かったんじゃないかと思いますけど。
日付: 2010年2月3日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: エイコ・マスヤマ、キャロル・フジタ、西村 陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
猪瀬ヨシコ氏はカリフォルニア州ロサンゼルス市に1908年に生まれました。父の渋谷セイジロウ氏は、羅府新報の創設者です。1930年初期、猪瀬伊之助氏の養子である清二郎さんと結婚。義父の猪瀬伊之助氏はリトル東京のアメリアとフィケット通りの角にあった日本人病院の初代院長を務めていた。(2010年4月11日)
日系人社会の中心だったEast First Street (英語)
作家(1934年生)
医師免許取得のためトリリンガルになった父 (英語)
一世医師の娘(1928-2016年)
医師の一日 (英語)
日系二世の医師が受けた差別 (英語)
父と手術助手の看護師を見送った日のこと (英語)
父の裁判を知る (英語)
患者の方言を話すことで患者の緊張を解していた父 (英語)
日本人病院と両親 (英語)
一世医師の娘
リトル東京で法律事務所を開業(英語)
アジア系アメリカ人女性最初の判事(1942年生)