>> その1
祖母の刀を幼い頃から手入れすることで、やがて日本刀の鑑定家となった日系三世のマイク山崎さん。彼は、お金の価値に換えられない「お宝」を大事に抱えている。それは「蔓沙那」と掘られた、マンザナー収容所製の短刀である。
その短刀に出会ったのは8年前だった。白人男性が彼に鑑定を依頼して来たのだ。「刀鍛冶師が作った物にしては、非常に荒い。しかし、それは十分な道具が揃っていない環境の中で作ったからだ。状況を考慮に入れれば、よくできているとさえ思える」
マイクさんの母方の家族は第二次大戦中にマンザナーに収容されていた。彼は、その荒削りな短刀を目にした時、家族の歴史と、日本刀の鑑定家という自らの職業をリンクさせた。そして、「何があっても自分が
この短刀を受け継いでいかなければならない」という責務にも似た思いを抱いたのだ。
戦争中にアメリカ政府によって収容所送りになった日本人やその子である日系二世たちは、それまで必死に働いて築き上げた財産をすべて没収されて住み 慣れた地を離れた。中には、先祖伝来の日本刀を知り合いの白人や、中には警察に預けた人もいるとのことだが、それはほんの一握りの人に過ぎなかったに違い ない。
後の調査によると、製作者は影山弓畔であることが判明した。影山は父親から刀作りの技術を譲り受け、マンザナーで生活していた1944年に、マイクさんが所持している短刀を作った。彼は戦後、ウエストロ
サンゼルスに移り住み、ナーサリーで植木栽培の仕事に従事していた。また、南加刀剣会 (Southern California Japanese Sword Society) の会員でもあった。
影山のマンザナー製の短刀は、収容所の警備に当たっていたアメリカ人兵士が入手した後に、刀の収集家に売却された。さらに、マンザナー博物館に売る事を目的に購入した別の収集家が、マイクさんが出会った人物だったのだ。
マイクさんは「自分の家族がマンザナー収容所で生活していたので、ぜひ、これを自分に買い取らせてほしい」と熱心に説得した。
その短刀をいくらで買い取ったのか?マイクさんの買い取り価格は1000ドル。果たしてそれだけの価値があるものなのだろうか?
「マナザナーで作られたという特別な条件がなければ、100ドル程度だろう。僕に売ったその男は、彼自身がいくらで買ったのかは教えてくれなかっ た。しかし、マンザナー製だということに、違う意味がある。これは、私の3人の息子のうちの1人に譲り渡したい。買いたいと言う人が現れても売るつもりな どない。(全米日系人)博物館に期間限定で貸し出すことはあるかもしれないが」
マイクさんが言うように、その短刀に歴史があるからこそ貴重な価値があるのだ。そして、歴史を知る者こそが価値を認識することができる。
子供に受け継ぐ物は、決して金銭的な価値のある物に留まらない。むしろ、それは二次的な物だと言える。物質的な物に目をくらませ、家族の歴史という 大切な心の財産を、今の日本人はどこかに置き去りにしているように思えてならない。日本人としての魂、そして家族の絆を、日系三世であるマイク山崎さんに 改めて教えていただいたような気がする。
最後に将来の目標について聞いた。「日本刀についての知識、歴史や文化的価値を含めて、日系アメリカ人を含む多くの人々に教えていきたい。人々は未来ばかりを展望しようとするが、過去に生まれた素晴らし
い遺産こそが、より良く明るい未来を作るのだと信じているから」
© 2009 Keiko Fukuda