ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2017/3/3/nikkei-oshogatus-stories-2017/

2017年日系人のお正月ストーリー —その2

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日系人のホリデーストーリー
: ジョン・ニシオ

これは第104回「ニシオ・餅つき」のストーリーである。

火曜日の夜、毎年恒例の「ニシオ一族とその友人による餅つき会」を開催した。

米国で第一回目の餅つき会が行われたのは1912年で、私の祖父とその兄弟の夫妻たちによるものだった。

祖父たちはこの「餅つき」を、時の浮き沈みに関わらず続けてきた。戦時中、強制収容時にあっても行った。2004年に私がこの餅つき会を引き受けるようになるまでは、ニシオ農場や、叔父や叔母の家、または我が家でと場所をかえて行ってきた。

写真 = ニシオ餅つき会 1952年

私や従弟たちは、親族のつながりが強い環境の中で育ってきた。その親しさと一体感をどのようにか再現するか努力をしている。餅つき会の時に家族のビデオを紹介することで、家族の歴史や伝統を引き継いでいくようにしている。こうして家族の結束を深め、本当の家族のアイデンティティを形成している。

毎年、私たちは素晴らしい時を過ごしている。それぞれの出来事を語りあったりして、一年の終わりを楽しく和気あいあいと過ごしている。今年(2016年)の集まりには平日にも関わらず36名が集まった。

写真=2106年ニシオ餅つき会に向けて準備の様子

寿司、照り焼きチキン、かつ、和風ポテトサラダ、雑煮などを作った。疲れも覚えるが楽しいひと時で、お金もかかるが家族が一緒になって楽しい時を過ごすことには代えられない。この餅つき会で料理をしていると、集まる家族みんなに喜んでもらおうと食事を作っていた祖父母を思いだす。

祖父母がこの伝統を守ってくれたこと、そして毎年この餅つき会に方々から家族が集まってきてくれることは感謝に絶えない。日系アメリカ人の社会にあってこういったことは珍しくなり、存続が危ぶまれていっている。二シオ家の四世、五世とその友人たちは、豊かな伝統と文化を学び、これからもこの伝統は続けられていくと確信している。いまではカナダ、ラスベガス、リノそして、この南カリフォルニアから親族が集まってくる。

写真 = ニシオ餅つき会、2106年12月27日

今年の餅つき会は、今年の初めに亡くなった叔母のローズをしのび行われた。叔母’は私の記憶にある限りでは一度も餅つき会を欠席したことがなく、彼女の存在は私がこの伝統を受け継いでいる理由のひとつでもある。

一世は日本からこの餅つきの伝統をもたらし、二世はその伝統を守り続けるベストを尽くした。そして今、三世、四世、五世は、その伝統の灯火を受け継ぎ、これを消すことはできない。

 

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2017年鏡開き、シカゴの新年祝い
: Japanese American Service Committee of Chicago

2017年1月7日、シカゴ日系アメリカ人コミュニティでは恒例の新年を祝う鏡開き行い延べ約200人が参加した。多文化、多世代対象のこのイベントは東北柔道アカデミー日系アメリカ人サービスコミッティ(Japanese Ameircan Service Committee of Chicago)がスポンサーとなっておこなわれた。午前中はボランティアが餅をつき、参加者のために餅を用意した。

餅の中には小豆あんを入れるのが一般的だが、今年はチョコレートを入れて、馴染みある日本の正月の食べ物に一味違ったユニークさを加えた。過去にはイチゴを入れたものも作った。

正式なプログラムは正午の天理教中西部教会の代表者による「お清めのお祓い行事」で始まった。余興と武術のデモンストレーションはシカゴ仏教会の京都太鼓グループ、シカゴ合気道クラブ、東北柔道アカデミーによって行われ、会の締めはコミュニティの参加者による持ち寄りの食事で参加者全員が楽しんだ。

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カナダで迎えた伝統的お正月
作:山内 是人

今年は家族、友人と日本の伝統的な正月を過ごしたので是非紹介したいと思います。

簡単な玄関飾り、鏡餅、手作りおせち、甘酒、お雑煮、お年玉を用意して、特別に床に座ってパーティをしました。リジャイナのあるサスカチュワン州では全ての具材は揃わないのでバンクーバーで購入しました。床に座るというのが正月気分を高めるのに大きな効果があったと思います。

インターネットで「紙門松」というものを見つけたので、印刷して貼ってみました。鏡餅と重箱、いくつかの具材はバンクーバーで購入しました。スロークッカーには乾燥麹から作った甘酒が入っています。ポチ袋はインターネットで見つけたものを印刷して切り貼りしただけですが、立派なものが出来ました。お雑煮も日本の正月には欠かせない一品です。

カウチを代用してテーブルにし、枕を座布団がわりにしました。床に座れない人もいましたが、いつもと違う雰囲気にすることが出来ました。

おまけですが、リジャイナのWascana Hillで撮影した、今年の初日の出です。

Wascana Hill

また、リジャイナ日系人会(Regina Japanese Canadian Club Inc.)では22日に毎年恒例の新年会が開催される予定で、太鼓や琴の演奏、甘酒配布、書初め・餅つき体験、かるた・福笑いなどが行われます。

 

© 2017 John Nishio, Koreto Yamauchi, Japanese American Service Committee of Chicago

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執筆者について

ジョン・ニシオ はパサデナ市で生まれ育ちました。彼は寿司職人になる前に、40年近く陶芸に関する事業を営んでいました。引退後、彼は広大な日本庭園の手入れや、The Grateful Crane Ensemble (鶴の恩返しの会)のために広東式飲茶料理の調理などで忙しく過ごしています。彼と彼の妻は2011年の福島の震災と津波の生存者に贈る資金集めを行う同会を主宰しています。この会では、東日本大震災の被災地復興のため資金集めをしており、ニシオ氏はそのイベントにおいて広東料理を調理しています。

ニシオ夫妻は毎年家族のために餅つきを行なっています。二人は家族や日系人の歴史の記録に熱心で、語り部のような存在です。「家族の絆を深め、私たち家族の歴史を次世代へと語り継ぐことを夫婦のミッションにしています」

(2017年2月 更新)


カナダへの移住者。現在は、カナダサスカチュワン州レジナのRegina Japanese Canadian Clubの代表を務めている。居酒屋「WannJapanese Izakaya」の寿司シェフでもある。

(2017年3月 更新)


ジャパニーズアメリカンサービスコミッティー・オブ・シカゴ(JASC)は第二次世界大戦中に収容されていた日系アメリカ人、2万人の再定住を支援するために創設されました。再定住が落ち着いた後、JASCは日系の年配者向けの広範囲に及ぶ社会福祉事業を開始しました。現在、JASCは文化、遺産、コミュニティプログラムなどを通じた社会福祉事業を、地域の日系人だけでなく、広域シカゴ圏の多様なグループや高齢者に向けても提供しています。

(2017年2月 更新)

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