ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2021/8/20/nihongo-benkyokai/

お役に立つ喜び ー 日本語勉強会

30余年も前、二世である私と同年代の仲間達に、日系ブラジル人として何かお役に立ちたいという思いが、心の底からムクムクと上がり始めた。

1990年、夫(いさむ)と「来年は結婚25周年だね」と、語り合っていた。その間に、4人の子供達を育て、私は家庭の主婦としての仕事一切、その他に夫の仕事の手伝いもして来た。あわただしい時間を割いて、地域社会とのつながりの奉仕活動、金銭的にも協力し、出来る限り夫と参加して来た。

私が50歳を迎えた時、家族の者に「お母さんは、これから、もっともっと多くの人のためになる仕事を始めるからね」と強く発言した。息子たちは「お母さん何を始めるの?」と不審そうな表情であったが、「心配しなくてもいいのよ。食事やその他、宅の事は今までどおり続けるからね」と言うと、「ああよかった」と安心した様子であった。

私が始めたのは、日本語勉強会の奉仕活動であった。学校でないのは、私自身、学校の門をくぐったわけでなく、私の先生は大好きな辞書だったからだ。解らない事があれば、側に先生がいてくれるので、安心して勉強会を始められた。

この勉強会を始めたきっかけの一つは、Yさんが「この間、幹部の集まりがあって誘われて行ったのよ。会長さんが、『そしき、そしき』と何回も言うのよ。『そしき』は人が死んだ時言うでしょう?私何もわからなかったのよ」と言われたので、私は、「なるほどね。そんなに人が死んだら困りますよね」と。そこで私は、「日本語の言葉には漢字があるから説明しましょう」と言って、『組織』と『葬式』の漢字を書いて、「こちらは『そしき』と発音します。organizaçaoのことです。こちらは『そうしき』と発音します。Cerimonia da enterro のことです。幹部の集まりですから組織の説明をされたのです。漢字はとてもおもしろいのよ。『葬』という字の上の部分は、くさかんむりといって草をあらわします。真ん中に死ぬというじがあります。下には足が二本ありますよね。死んだ人をあらわします。このようにして漢字を覚えるとおもしろくてドンドン覚えますよ」と説明すると、Yさんは納得して「ケ、インテレサンテ(まぁ、面白い!)、先生、私に日本語を教えてちょうだい」と言われ、早速、私の日本語勉強会を始めることにしたのだ。

私は最初、家族が住むサンパウロ市聖北(zona norte)の地域で、週一度の割合で勉強会を開始した。最初はたった一人から始まり、だんだん増え始めた。ついには朝と晩のクラスを自宅のサロンにて行い、昼はバスで隣の地区まで足を運び、教えるようになった。

日本語勉強会、夜の組、先生の日。

習いに来る人たちは、戦時中日本語を学べなかった人、家族のために働くばかりの過酷な時代を過ごした人、日本語ポルトガル語どちらの学校へ行っていない人、中には、ブラジルだから日本語は必要ないと主張する家庭で育った人やブラジルで大学を卒業しているが日本語の会話がぜんぜん出来ない人などであった。それぞれ事情は複雑であった。事情は何であれ、とにかく日本語を覚えたいという希望者が徐々に増え、この上ない喜びであった。誰からか聞いて、とんでもない遠い所から自家用車で参加する人、メトロやバスを利用して出席し、喜んで帰られる人もあった。

朝、昼、晩と勉強会を持つようになり、そのうち、私は隣の地区までバスを3回乗り継ぎして会館まで足を運ぶようになった。多い時期には30名を超す生徒がいた。

一体何に魅力があったのか不思議に思われるでしょう。その一つは、毎週作成するテストに真心を尽くす努力、もう一つは、笑い声が耐えない明るい雰囲気がただよっていた事であった。あるお年を召されたSさんは、「今日も此処に来て、先生の笑い声が聞けただけで私は嬉しい。漢字など覚えるより忘れる方が得意だから、たいした生徒ではないけれど、この勉強会には参加させてもらいたい」と。こんな言葉を聞くと「私もあなたがいらっしゃると力が出て、資料作成も楽しくなります。是非続けていらして下さいね」と答えるのであった。

日本語勉強会、朝の組、先生の日。

昨年、2020年3月、コロナ渦蔓延防止のため、自粛生活が強いられすべての行事は中止となった。振り返ってみれば、楽しく続けてきたこの勉強会の奉仕も、丁度30年の年月が過ぎていた。笑いの溢れる明るい雰囲気の中で多くの人々が入れ替わりながら、日本の心、日本語の素晴らしさを身につけて、明るい社会人となった人々が瞼に浮んでくる。自粛生活2年目の今、自分のような老年組みは地域貢献にも出番を失ったような気がするが、私は絶対に悔いは無い。日系二世として、多くの人々のお役に立てたことに感謝している。

「今こそ若者の出番」と、青壮年たちが心を合わせ、コロナ渦で仕事を失い、家族を養うための食費も乏しい貧民のために、募金を募り、必要としている地区へ生活必需品(セスタ・バジカ)を毎月配る奉仕活動を行なっている。この冬を少しでも暖かくすごせるようにと、冬着を提供してくださる方々もいるようで、食料品と共に届ける事ができ、大変喜んでもらえたと言う嬉しい報告があった。青壮年の奉仕活動の素晴らしさに大きな拍手を送っている。この活動は、まだまだ続けるとのことで、若者達の喜びの輪が地域に広がる事を念じて止まない。

 

* * * * *

このエッセイは、シリーズ「ニッケイの世代:家族と コミュニティのつながり」の編集委員による日本語のお気に入り作品に選ばれました。こちらが編集委員のコメントです。

小嶋茂さんからのコメント

応募があった2点の作品は、ともに書き出しが巧みで、一気に読み終えた。一つは日系ブラジル人二世として地域社会へ奉仕活動する話。もう一つは二世第1号紹介にまつわる話である。

前者は、奉仕として始めた日本語勉強会のきっかけが、音が似ている「組織」と「葬式」の勘違いに関する説明だったこと。多様な学習者が集まった中で会が続いた秘訣は、真心を尽くす努力と笑い声が絶えない明るい雰囲気であったことが明かされる。後者は、葬式の知らせかと思われた電話が、同船者仲間からの連絡で、二世第1号の娘さんと出会い、みんなに知らせたいという内容である。

ともに読後感は爽やかで心温まり、甲乙つけ難い。1点のみに絞るのは辛いが、共感性の高い前者、石井かず枝さんによる「役に立つ喜び ー 日本語勉強会」をお気に入り作品としてお勧めしたい。

 

© 2021 Kazue Ishii

ブラジル 教育 世代 日本語 言語 二世 勉強
このシリーズについて

「ニッケイ物語」シリーズ第10弾「ニッケイの世代:家族とコミュニティのつながり」では、世界中のニッケイ社会における世代間の関係に目を向け、特にニッケイの若い世代が自らのルーツや年配の世代とどのように結びついているのか(あるいは結びついていないのか)という点に焦点を当てます。

ディスカバー・ニッケイでは、2021年5月から9月末までストーリーを募集し、11月8日をもってお気に入り作品の投票を締め切りました。全31作品(日本語:2、英語:21、スペイン語:3、ポルトガル語:7)が、オーストラリア、カナダ、日本、ニュージーランド、ブラジル、米国、ペルーより寄せられました。多言語での投稿作品もありました。

このシリーズでは、編集委員とニマ会の方々に、それぞれお気に入り作品の選考と投票をお願いしました。下記がお気に入りに選ばれた作品です。(*お気に入りに選ばれた作品は、現在翻訳中です。)

編集委員によるお気に入り作品

ニマ会によるお気に入り作品:  

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* このシリーズは、下記の団体の協力をもって行われています。 

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執筆者について

サンパウロ州、ペレイラ・バレット、ウニオン植民地にて、1940年2月13日、父尾崎忠雄と母清江のもとに生まれた。1966年7月2日石井いさむと結婚、4人の子供を授かり、現在は夫いさむとサンパウロ市にて二人暮らし。 趣味は読書、旅行、文章、俳句も嗜んでいる。

(2021年8月 更新)

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