ハワイ生まれの日系アメリカ人2世の女性が、戦争を挟んで苦難の人生を生き抜く姿を描いた、ジュリエット・コーノ作の小説『暗愁』。10年をかけてその翻訳を手掛け、昨年末出版にこぎつけたアメリカ文学研究家の前田一平氏に、作品の魅力や日系文学などについてきいた。
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ヒロインの「覚醒」の物語
——『Anshu: Dark Sorrow(暗愁)』を翻訳しようおともったきっかけはなんでしょうか。
前田: 原作の出版は2010年で、私がその本と出会ったのは翌年3月でした。当時、私は『あの日、パナマホテルで』として出版されることになる小説の翻訳中で、最終調査のため小説の舞台であるシアトルに一週間ほど滞在していました。ほとんど毎晩、研究上の師匠であるワシントン大学のスティーブン・H・スミダ教授宅で夕食をごちそうになっていました。帰国前日の夕食で、スミダ先生と奥様のゲイル・ノムラ先生から「小説の翻訳をするんだったら、この本を翻訳してみないか」と紹介されたのが『暗愁』でした。
物語の概要を聞いて関心をもったことに加えて、作者が個人的に知っているジュリエット・S・コーノだったこともあり惹きつけられました。これより5、6年前に、客員研究員としてワシントン大学にいた私は、スミダ先生の授業「ハワイ文学」を聴講させてもらっていました。ある日、その授業にハワイからジュリエット・S・コーノという詩人が来て、みずからの詩集の話をしてくれました。また、授業後にスミダ先生からだったかノムラ先生からだったか電話があり、「ジュリエットと昼食するからお前も来い」ということで一緒に食事をさせてもらいました。
帰国後、原作を読んで、翻訳しようと決意しました。物語の面白さに加えて、物語の焦点が広島の被爆に結ばれていたからです。私は広島で教育を受け、就職もしました。毎日のように、電車を見ても、橋を渡っても、川を見下ろしても、被爆の情景を幻視していました。でも、反核とか世界平和の活動には一切関わることはありませんでした。それを罪悪感のように引きずっていたので、『暗愁』の翻訳でその罪悪感を少しでも軽減できるのではないかと思った次第です。
——翻訳から出版にいたるまでおよそ10年かかったと聞きましたが、実現に至るまでの経過を教えてください。
前田: 翻訳で460ページを超える大長編なだけではなく、戦時中や戦後の日本、特に東京大空襲や広島の被爆に関わる詳細や具体は、戦後生まれの私にとっては時間を要する困難な研究調査の対象でした。さらには、ヒロインを成長に導く仏教についても同様でした。作者自身も調査執筆に10年を要したと言っています。
訳者も作者と同じ、いや作者以上の努力をしなければならないということでしょう。ジュリエット・S・コーノは日系人とはいえ、三世で、アメリカ人です。ですから、失礼を承知で、作者には太平洋戦争に関わる日本について誤解がないか、あるいはアメリカ人の目で日本の過去を見るという意識的無意識的な偏見や先入観がないかということも慎重に吟味しました。被爆後の広島にアメリカから複数の調査団や医療班が派遣されましたが、特にこの小説におけるそれらの描かれ方について、日本の、特に広島の読者に疑念や不快感を抱かれないように、細心の注意を払いました。
物語最後でヒロインはアメリカの医療施設で調査を受けます。その調査にヒロインは恥じることなく被爆した全身を預けます。一見、この医療施設は肯定的に描かれているようにみえますが、時期的にみて、また施設が被爆者調査に徹しているところから判断して、ABCC(原爆傷害調査委員会)であることは明らかです。被爆者は治療をしてもらえると思ってABCCを訪れたが、実際は治療はせずに被爆調査だけだったと批判されています。この点で日本の読者を不快にしないために、「訳者あとがき」で、この小説あるいはヒロインが息づくのは現実の政治性を超えた次元であるということを書きました。このような観点で神経を使いましたので、適正な翻訳をするために予想外に時間がかかりました。それでも不十分かもしれません。
また、出版社を探すのに時間がかかったことも事実です。翻訳ものの「純文学」はいちばん売れないジャンルだとか。しかも、被爆を描く小説には出版社も腰が引けるのかもしれません。複数の大手出版社の編集者が強い関心をもってくれたこともありました。結果的に、あけび書房が引き受けてくれました。あけび書房に依頼をしたのは、『原爆スラムと呼ばれたまち』を出版していることに勇気づけられたからです。実態調査を踏まえたこの本は、広島被爆に関わる重大な出版であると思います。
あけび書房にたどり着くのに、いささか時間がかかりました。プロの作家でもなく、プロの翻訳家でもない私のような者にとって、出版社の壁は厚く極めて高いですね。
——著者が浄土真宗の僧侶でもあり、「暗愁」の世界は、仏教と関わりがあるように思えます。この点は、訳者としてどのように考えますか。
前田: 作者はヒロインの成長を仏教の教えを通して描いたと言っています。個人的な不幸や災禍を経て、ヒロインはある種の覚醒にいたります。作者は「悟り」と言っていますが、経験が壮絶であるゆえに、あまりにも性急に成長を促されるヒロインの覚醒は、その内容を論じるのは難しいと思います。ただ、間違いなく、ヒロインはエゴや虚栄や欲望を超越することに意識的です。それは京都の浄土真宗僧侶から学んだことです。
広島は古くから浄土真宗が信仰の中心で、信者たちは安芸門徒と呼ばれています。作者の家庭が浄土真宗であったことと、作者自身が僧侶であること、作者の母方の祖父母(一世)は広島出身であることを勘案すると、ヒロインの仏教的成長には作者の自伝性が感じられます。ただ、残念ながら、ヒロインの浄土真宗という文脈での成長を論じられるだけの勉強が私にはできていません。それでも、小説で描かれる経典や仏教の教えには、私なりに理解に努めたつもりです。
——作品のテーマをどうとらえるかは、もちろん読者それぞれに委ねられていますが、作者は、主人公ヒミコの苦難の人生を通して何を訴えたかったのでしょうか。
前田: とても正当な質問ですが、とても答えにくい質問だとも思われます。この小説は日系アメリカ文学という範疇に入ると思いますが、川井さんが翻訳された『ノーノー・ボーイ』がそうであるように、代表的な、あるいは典型的な日系アメリカ文学は、人種的マイノリティ意識、人種的劣等生、強制収容、白人中心社会への同化などが描かれます。その点、『暗愁』は異色の作品と言えるでしょう。
端的に言うと、ハワイの日系作家がハワイの日系人ヒロインの目を通して日本を描いているわけです。もちろん、ヒロインは日系二世ですから、日本ではアメリカにいるときとは違う人種意識や差別を感じます。戦後になると、彼女は広島や京都に進駐するアメリカ人たちや彼らの話す英語に郷愁を感じます。また、GHQでアメリカ人たちと仕事をします。私が研究者として論文を書くなら、以上のような人種および文化の観点でこの小説を解釈するでしょう。
しかし、人種問題、異文化、アイデンティティといったお決まりの用語を使って論じれば、ある程度の解釈はできるでしょうが、物語の焦点を見逃すことになるのではないでしょうか。なぜなら、この小説の、あるいはヒロインの息づく次元は、そのような社会的現実的次元を超えていると思えるからです。
先ほど「覚醒」という言葉を使いました。ただ、ではどのような覚醒なのかを論文にするには、浄土真宗を中心に仏教を深く研究しなければならないでしょう。私にはできていません。翻訳者としていかがなものかと言われるかもしれません。
まったく異なる分野の問題で言えば、今日世界では戦争・紛争が起こり、多くの人たちが殺されています。そのような現実の中で私が思うのは、大切なのはイデオロギーの違いとか、宗教の違いとか、人種の違いとか、歴史認識の違いとかではなく、人を殺してはいけないということではないか、ということです。つまり、イデオロギー、宗教、人種、歴史認識を超越した次元で、私たちは命を守らなければならない、ということです。これは、人種問題やアメリカの政治性を超えた次元でのヒロインの覚醒という『暗愁』解釈に通底しませんでしょうか。それが歴史学や社会学や文化学や政治学とはちがう、文学の存在意義ではないかとすら考えます。
——仏教的な考えを英語で書かれたものを、日本語にまた翻訳するというのは、大変な作業のような気がしますが、いかがでしょうか。
前田: 作者は英語で書かれた仏典を使っていますので、それを日本語に翻訳する場合は、日本語の仏典を参考にしました。仏教関係のサイトがインターネット上にかなりありますので助かりました。当初は私が適当に日本語にしていたので、原稿の最終確認のときに日本語の仏典を確認して正確を期しました。
仏教の勉強をする過程で、小説中に何の説明なしに書かれている事象や人物や寓話が仏教に関係していることに気がついて、書き直したり、訳注をつけたりしました。訳注にある用語を辞書やネットで調べていただければ理解していただけると思います。確かに大変な作業でしたし、10年の時間がかかりましたが、むしろ適正な翻訳を期す上ではよかったと思っています。
——翻訳にあたって、背後にある歴史的な事実の検証なども前田さんがすべてされたと聞きました。こうした部分を含めて、翻訳で苦労されたところはどのような点ですか。
前田: 特に検証に神経を使ったのは、被爆後の広島に来たアメリカの調査団についてです。被爆後は黒い雨とか被爆者とかABCCなどについては知っていましたが、アメリカの複数の調査団がいつどのように広島に来て、何をしたのかはまったくと言ってよいほど知りませんでした。被爆の翌月、枕崎台風が広島を襲ったことも知りませんでした。そのためにインターネット検索を目が潰れるほどしましたが、ネット上の情報の正しさを確認するために、中国新聞社、広島市立中央図書館、広島平和記念資料館などに問い合わせをしました。それから、広島弁と福岡の筑豊の方言にも苦労しました。
広島で長年暮らした私は広島弁はだいたいは理解していましたが、正確を期すために、筑豊方言を含めて、ネット上の方言変換サイトを利用しました。ただ、不安は拭えず、広島の若い知人に最終確認をしてもらいました。若い知人にしたのは、若い読者が違和感を覚えるような古い広島弁をできるだけ少なくしようと思ったためです。筑豊の方言については、有り難いことに筑豊在住の友人がいますので、友人夫妻に確認をしてもらいました。方言は原書にはない彩りを翻訳に与えてくれます。ただ、翻訳でいちばん苦労というか意識したことは、日本語のリズムです。五七五の俳句を読むように、日本語として心地よい落ち着きのある文章表現を心がけました。
——日系アメリカ人作家のなかで、戦争や移民などアメリカと日本の関係を背景にした作品は多いですが、そのなかで「暗愁」は異色ではないでしょうか。
前田: そうですね。この小説はハワイからアメリカ本土に向けてというよりも、太平洋をはさんで日本に発信されたものと個人的には感じています。日系人ではありませんが、村上春樹の翻訳者で知られるアメリカ人のジェイ・ルービンが書いた『日々の光』も類似していると思います。アメリカ人作家が主人公をアメリカ人として、そのアメリカ人が見た日本を英語で描くというパターンですね。
——作者のコーノ氏とは面識があると聞きました。日系3世で作家のコーノ氏についてどのような印象をもっていますか。
前田: 特に親しいわけではく、個人的な付き合いはありません。もう80歳で、昨年大病をされました。言い方はよくないですが、彼女が認識できるうちに日本で翻訳出版ができて本当によかったと思います。日本語翻訳を大変喜んでくれました。
どうも順風満帆の人生ではなかったようで、ハワイ大学に行ったのもかなり年齢を重ねてからのようですし、早くに結婚出産、離婚、再婚と、めまぐるしい人生のように思えます。ジュリエット・S・コーノというペンネームの背後には、これまた大変な物語があるようです。Sは「サナエ」で、日系人はミドルネームに日本名を入れることがよくあります。ところが、「コーノ」は離婚した前の夫の名前らしいです。興味深いですね。
コーノはすでに日本に研究者が数人いて、論文も書かれています。招聘されて日本の大学などに来たこともありますが、私は研究上の関心はないので日本では会っていません。
(敬称略)
続く >>
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