ハワイ生まれの日系アメリカ人2世の女性が、戦争を挟んで苦難の人生を生き抜く姿を描いた、ジュリエット・コーノ作の小説『暗愁』。10年をかけてその翻訳を手掛け、昨年末出版にこぎつけたアメリカ文学研究家の前田一平氏に、作品の魅力や日系文学などについてきいた。
ヘミングウェイとジョン・オカダ
――前田さんは、アメリ文学の古典でもあるヘミングウェイの研究をはじめアメリカ文学の研究を専門とされ、日系アメリカ人の文学の研究もされていますが、そもそもこうした文学研究をするようになったのはなぜですか。
前田:私が文学にはまり込んだのは高校生のときでした。自分は何のために生きているのか、自分が存在する理由は何かという思春期的苦悩のどん底に落ち込んで、その答えがなければ一歩も前に進むことができませんでした。ですから、大学受験勉強は惨憺たる状況でした。それで、私は答えを小説に求めました。
小説を読んでいる時だけは、息をすることができました。漱石に太宰、有島武郎に志賀直哉。そこには私と同じように答えを求めて苦悩する人物はいましたが、答えはありませんでした。ただ、隠れるようにしていた答え探しが、文学部に行けば隠れることなくできるのだと思いました。そんな私を地方の国立大学が拾ってくれました。学部3年のときの授業でヘミングウェイの『武器よさらば』を読みました、翻訳で読んだヘミングウェイに魅力は感じなかったのですが、原書で読むと抑制した感情の重さと救いようのない虚無感に打たれました。それで研究者になろうと思った次第です。
日系アメリカ文学への関心は大学院時代に生まれました。広島のある書店でジョン・オカダの書いた『ノー・ノ―・ボーイ』という小説に出会い、その奇異なタイトルに惹かれて購入しました。読み始めましたが、50ページほどでやめました。よく理解できなかったからです。日系アメリカ人のことをほとんど知らなかったのです。学校教育も教えてくれませんでした。ですから、いつかしっかりと日系アメリカ人の研究をしなければならないと思ったわけです。それがワシントン大学のスミダ先生の指導を受けることになる最大のきっかけでした。
この時、もう50歳を過ぎていました。日本でアジア系アメリカ文学研究会の会員になりましたが、私は遅れてきた少年ならぬ、中年だったのです。ですから、出遅れて、このまま勉強不足で終わりそうです。
――アメリカ、そして日本でのアメリカ文学研究のなかでアジア系アメリカ人文学、あるいは日系アメリカ人の文学はどのように位置づけられていると思いますか。
前田: 詳しいことはわかりませんが、先にもお話ししたように、アメリカではUCLAやバークレーを中心として特に西海岸の大学や研究会でアジア系の研究教育は発展していると思います。日本ではアジア系アメリカ文学研究会(現、学会)が1989年にスタートし、現在は会員数も多く、学会活動や出版を精力的に進めています。
日本のアメリカ文学会やアメリカ学会でも日系文学の研究発表が毎年のようにプログラム化されるようになりました。ただ、日系アメリカ文学が研究教育される大学は、専門教員がいれば別として、英文科でも極めて少ないです。日系を含めてアジア系アメリカ文学の研究教育のさらなる発展を、アジア系アメリカ文学会に期待したいところです。しかし、文学の基本にあるのは一般読者の存在ではないでしょうか。そのためには、研究と並んで、あるいは先だって、翻訳を地道に進め、すぐれた日系文学を日本の一般読者に届けたいですね。
――前田さんは、以前、ジェイミー・フォードのベストセラーで、戦時中の日系人を主人公とする『Hotel on the Corner of Bitter and Sweet』(日本題『あの日、パナマホテルで』)を翻訳されました。作者は日系人ではありませんが、今回のような日系人作家の作品との違いを感じるとすればどのような点でしょうか。
前田: ジェイミー・フォードは白人の名前ですが、彼は中国系の血をひいています。ですから、中国系アメリカ人を中心人物とする小説を書いているわけでしょう。ただ、『あの日、パナマホテルで』は中国系の少年が日系人のヒロイン少女をみつめる語りになっていますので、日本人が読むと日系人が中心的に描かれているように感じられます。
日系人ではない作者が日系人を描いている小説で邦訳があるものとしては、先に挙げたジェイ・ルービンの『日々の光』とデイビッド・グターソンの『殺人容疑』があります。いずれもシアトルの白人作家の創作です。ルービンは日本文学の研究者かつ翻訳者です。グターソンは大学では英文学を専攻し、高校の英語教師を経て作家になったようです。
『殺人容疑』は『Snow Falling on Cedars』が原題で、人種問題を扱うシリアスな「純文学」と言えますが、邦題でわかるように、日本ではミステリーとして出版されています。映画化もされました。ほかにはニーナ・ルヴォワルの『ある日系人の肖像』もありますね。ルヴォワルは父親がポーランド系アメリカ人、母親が日本人で、5歳まで日本で暮らしていたそうです。
日系人を中心人物としながら、ロサンゼルスの人種的多様性を描く小説には、みずからの人種的ハイブリッド性(適切な言い方かどうか不安ですが)が表れていると思います。このように、日系人を描く作家の人種的多様性にも注目する必要がありますね。その場合、日系人の身体的特徴や文化の描き方に偏見や先入観がないかどうか確認しなければなりません。ジェイミー・フォードにはそれはなかったように思います。
――戦争の記憶は徐々に日系社会のなかでも遠いものになってきています。今後、日系をテーマにした文学は変わっていくでしょうか。
前田: 作者が多様化すれば日系文学も多様になるでしょうね。一世の父親と二世の母親をもつジュリー・オオツカは1962年の戦後生まれですが、『天皇が神だったころ』や『屋根裏の仏さま』で、一世の写真花嫁や強制収容を入念に調査することによって物語化しています。ただ、日系アメリカ文学の重大なテーマであった強制収容や写真花嫁は、もはや調査研究が必要な古典的題材になるかもしれません。
『屋根裏の仏さま』では一世女性たちが写真花嫁として渡米するところからアメリカでの生活や強制収容される状況が語られていますが、日系アメリカ人について基礎的勉強ができている人にとっては、もはや退屈な繰り返しの語りに思えるかもしれません。私はそうでした。これからは四世、五世の時代ですから、一世、二世の強制収容言説とは違う日系人の経験や意識が小説の題材になるかもしれません。どうなるかわからないだけに、楽しみですね。
――前田さんにとっての日系文学の魅力を教えてください。
前田: 日系文学にかかわる私の最大の関心は、『ノーノー・ボーイ』のイチローや『二世の娘』のカズコがそうであるように、アメリカ生まれの二世には白人中心社会に同化する欲望が強くみえるところです。
戦後生まれの日本人である私は、ハリウッド映画で見る白人の容姿や身体的特徴にあこがれを抱きました。金髪、背の高さ、ほりの深い顔、英語という言語などです。でも、アメリカの二世たちの白人社会への同化志向は、そのようなあこがれとは決定的に違います。『二世の娘』のカズコは、受け入れてくれる学校がみつかったので収容所を出所することができます。その学校からクリスマス休暇で帰省するのですが、帰省先は両親がいる元の強制収容所です。休暇を終えて収容所からバスで白人社会へと戻るとき、バスの窓からみえる両親が「物欲しげな移民」にみえたと語ります。
アメリカの研究者にはこの同化志向を批判する人がいます。難しい問題だなと思います。当事者ではない私には特に。『二世の娘』の翻訳も待たれるところです。
(終わり)
© 2024 Ryusuke Kawai