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第12回 土台は宗教的エートスか
「広島県移住史」より
加藤新一の出身地である広島県は、明治時代に入って全国でもっとも多くの海外移住者を送り出した「移民県」であることは、前回触れたとおりである。
移民の数を全国的にみると、県によ…
川井 龍介 • 2021年5月14日
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第三十七話 コロナなんかに負けるもんか!
1998年、僕は5歳のとき、両親に連れられて日本へ行きました。それまで父は薬局に勤め、母はスーパーで働いていました。しかし、生活がぎりぎりだったので、もっと安定した暮らしを送るために日本へ出稼ぎに行…
ラウラ・ホンダ=ハセガワ • 2021年4月1日
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第三十六話 マサトシの再出発
マサトシとロザナは幼なじみだった。学校の宿題をする時も遊ぶ時もいつも一緒だった。しかし、中学校を終えると、ロザナは伯母さんの美容室で働くためにサンパウロへ行ってしまった。それっきり2人の連絡は途絶え…
ラウラ・ホンダ=ハセガワ • 2021年2月22日
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第三十五話 ようやく、にっぽん!
両親が出会ったのは24年前。9歳のときから家族と日本で暮らしていた母は、親戚の結婚式に出席するためにブラジルに戻ってきていました。父は、新郎の親友で、めったに着ないスーツ姿で式に参加していました。
…
ラウラ・ホンダ=ハセガワ • 2020年12月18日
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第三十四話 コロナによる突然の帰国
日本へ行ったのは1997年。姉は26歳、わたしは18歳でした。姉のご主人のマサオさんは半年前から豊橋市の工場で働いていたので、私たちはバラバラにならないように同じ町で仕事を探し、ようやく姉はパン屋、…
ラウラ・ホンダ=ハセガワ • 2020年9月4日
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平成時代の日本と定着した南米日系就労者たち
2019年、この日本では「平成」が終わり「令和」という元号になった。31年にわたる平成時代は、南米から渡日した日系就労者の歴史とほぼ重る。1980年代後半のバブル期は、製造業界における深刻な人手不足…
アルベルト・松本 • 2020年2月24日
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アウグスト比嘉の日本
1994年、アウグスト比嘉は、10年代初頭のデカセギとしての経験を記した本『日本は二度チャンスを与えない』を出版した。それは、親の国で外人としての立場に苦悩する二世であり、日本の工場や道路で過酷な…
エンリケ・ヒガ・サクダ • 2020年1月17日
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第三十三話 「カレンが日本へ戻らないって」
高校生だったトシエは、同級生のイヴァンと結婚し、その5ヶ月後に双子の赤ちゃんを産んだ。当時19才だったイヴァンは大学進学を諦め、スーパーのレジ係、自動車部品店店員、タクシードライバーなど、職を転々と…
ラウラ・ホンダ=ハセガワ • 2019年8月30日
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プロモーション 89. デカセギから住民までの30年 後編
パート 1 を読む >>真岡、第二の家誰もが日本でのカルチャーショックや過酷な労働体制に備えることができたわけではなく、多くの人が精神的に崩壊してしまいました。愛する人たちへの郷愁と、こ…
エドゥアルド・アサト・シマブクロ • 2019年8月28日