ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/series/imagine-little-tokyo-5/

第5回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト


2019年4月17日 - 2019年5月1日

リトル東京歴史協会主催の第5回ショートストーリー・コンテストは、2018年4月19日、ロサンゼルスリトル東京のユニオンチャーチで行われた授賞式をもって幕を閉じました。授賞式では、プロの俳優によって受賞作品の朗読が行われました。このコンテストでは、作品の時代設定を問わず、リトル東京を舞台とした創作的な作品を通して、リトル東京への関心を高めることを目的としています。

最優秀賞受賞作品:


* その他のイマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテストもご覧ください:

第1回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト (英語のみ)>>
第2回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第3回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第4回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第6回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第7回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第8回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第9回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第10回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>


フィクション リトル東京

このシリーズのストーリー

思い出す

2019年5月1日 • マデリン・パルガ

レイは背筋を伸ばしてペンを手に教室に座り、すでにメモがいっぱい書かれた紙の上に肘を心地よく乗せていた。彼女は、プレゼンテーションのスライドから重要な詳細を一つ一つ注意深く書き留めた。ベルが鳴り、全員が荷物をまとめ始めました。 「ちょっと待ってください」と先生が言いました。「来週の初めまでに特別な作文課題があります。小さい頃に訪れた場所について書かなければなりません。怖かった場所、興奮した場所、幸せだった場所、悲しかった場所…思い浮かぶ場所ならどこでもいいです。そして、その場…

喜寿の手習い

2019年4月24日 • 鶴亀 彰

夫の7回目の命日を3日後に控えた一月半ばのその日、和子バーチャンは朝から機嫌が悪かった。いつもの通り、午前5時に起きた。老人の一人暮らしで、仕事している訳でもなく、気ままな生活なのだが、長年の習慣で、目覚ましがなくても自然に眼が開く。ベッドの上で身を起こした途端に、身体にかすかな痛みが走った。激しい痛みではない。右脇腹が疼いた。「あ、雨だな」と呟きながら、洗面所に入り、窓のカーテンを開けると、案の定、外は雨だった。まだ時間が早いせいか、もやと雨が混じった乳白色が家の周りを覆…

(リトル東京)武道館での生活

2019年4月17日 • ジェームス・トウマ

ジェフは、スタイリッシュな黒いアウディを高速道路から降りた。どちらの方向も見渡したが、自分の位置がわからなかった。「最高だ」と彼はつぶやいた。彼は何年もリトル トーキョーに行っていなかったが、ダウンタウンに着いたら記憶がよみがえるだろうと思っていた。 「そこへの行き方は知ってるよね?」と、息子のクレイグが父親の横で腰をかがめながら尋ねた。青と金のセイバーズのユニフォームを細身の体にゆるく羽織り、首には黒いヘッドフォンを巻いていた。 「僕たちがどこにいるかはわかっているよ」ジ…

ニッケイのストーリーを募集しています! 世界に広がるニッケイ人のストーリーを集めたこのジャーナルへ、コラムやエッセイ、フィクション、詩など投稿してください。 詳細はこちら
サイトのリニューアル ディスカバー・ニッケイウェブサイトがリニューアルされます。近日公開予定の新しい機能などリニューアルに関する最新情報をご覧ください。 詳細はこちら
このシリーズの執筆者

マデリン・パルガは 19 歳で、コーネル大学の 1 年生を終えようとしています。彼女は 3 年生の頃から想像力豊かな物語を書き、リトル トーキョーを熱心に訪れています。大学生活を続け、自分自身についてより深く知るにつれ、彼女はリトル トーキョーを懐かしく思い出します。リトル トーキョーは、彼女が自分の文化的アイデンティティを形成し始めた最初の場所だったからです。

2019年5月更新


ジェームズ・トマはウェストコヴィナ市の元市長であり、カリフォルニア州司法省の監督弁護士です。

ジェームズは結婚して 2 人の幼い子供がおり、読書とスポーツを楽しんでいます。イースト サン ガブリエル バレー日本人コミュニティ センターで息子のバスケットボール チームのコーチを務めています。日系アメリカ人のバスケットボールに触れたことがきっかけで、リトル トーキョー歴史協会のコンテストに短編小説を寄稿しました。

ジェームスは沖縄生まれですが、カリフォルニア州セントラルバレー育ちです。イェール大学とカリフォルニア大学バークレー校を卒業しています。ウェストコヴィナ図書館友の会と日系アメリカ人弁護士協会の元会長です。

2019年4月更新


鶴亀彰は1941年に鹿児島県で生まれ、鹿児島のラ・サール高校、京都の京都外国語大学を卒業後、1964年に国際観光業のニューオリエントエキスプレス社に入社。1966年に同社の米国事務所に駐在員として派遣され、ロサンゼルスとニューヨークで勤務。1979年に退社し、家族と一緒に世界を見て回った。1980年にロサンゼルスでカリフォルニア・コーディネーターズ社を設立。日本から米国やメキシコに進出する企業のための現地支援を行う。またその後、日米の仲間と一緒に、カリフォルニアの起業家達が日本市場への進出する際の支援を提供するビジネスカフェ社をシリコンバレー、ロサンゼルス、東京で設立。

ビジネス以外では鶴亀の生涯を通じての関心は日本と世界の関係で、中でも日米関係である。また日本の米国への移民の歴史にも興味を持ち、研究を続けている。北米のみならず、南米の日系社会の状況を調査すべく、メキシコやペルーやチリやアルゼンチンやブラジル等を3ヶ月に渡り訪問した。最近では日系社会に貢献した戦前の一世達を取り上げ、カリフォルニア州オレンジ郡で毎月発行されている「オレンジニュース」に記事を掲載したり、2018年には明治維新、日本人移民150周年を記念すべく、新一世の仲間達と一緒に「日系パイオニアに感謝する会」を立ち上げ、戦前の一世や二世に対する感謝を表明する企画を成功裡に実現した。鶴亀は現在ロミタ市に妻と息子と一緒に在住。現在78歳。

(2019年4月 更新)