ニッケイ物語 1 — いただきます!ニッケイ食文化を味わう
世界各地に広がるニッケイ人の多くにとって、食はニッケイ文化への結びつきが最も強く、その伝統は長年保持されてきたました。世代を経て言葉や伝統が失われる中、食を通しての文化的つながりは今でも保たれています。
このシリーズでは、「ニッケイ食文化がニッケイのアイデンティとコミュニティに及ぼす影響」というテーマで投稿されたものを紹介します。
編集委員によるお気に入り作品はこちらです。
- 日本語:
Grandma’s PICKLES Story: おばあちゃんのRAKKYOを世界へ発信
後藤 麻美(著) - 英語:
Authentic (オーセンティック) バーバラ・ニシモト(著) - スペイン語:
日本人の底力 アリエル・タケダ(著) - ポルトガル語:
おふくろの味: ドナ・シズカのマンジョカのみそ汁
ロザ・トメノ・タカダ(著)
このシリーズのストーリー
Authentic (オーセンティック)
2012年10月2日 • バーバラ・ニシモト
「出身は?」「英語はどこで覚えたの?」「普通のアメリカの食べ物を食べてるの?」 私が住んだことのあるコミュニティには、日系三世はおろか、アジア系の人はほとんどいませんでした。これは何年も前のことですが、クラスメイトや見知らぬ他人でさえも、私にお決まりの質問をしてきました。彼らからすれば、日系アメリカ人も日本人も同じだったのです。 その後、日本文化や日本食人気が高まると、彼らとのやり取りは少し変化しました。私は、質問される立場から、最新の日本食レストランや…
オレゴンで和牛を育てる
2012年9月27日 • 今村 亮
世界に浸透する和食同様に, 和牛を渇望する声が高まっている。今回オレゴン州の牧場で黙々と2000頭の和牛を育てるハリー矢野をご紹介する。 今年、4月12日付フォーブ誌に「神戸ビーフ・フロード(詐欺)」というセンセーショナルな記事が出た。記事を書いたラリー・オルズメッドによれば、『和牛とは日本牛のことだが、それ以上は、尋ねる相手方、相手国の如何によっては、様々な回答がでてくるという。即ち、欧米人が熟知する米国産、欧州産の牛を含み、日本で飼育するすべての牛をいうと回答する…
手巻き寿司:ウェルカムホームパーティ
2012年9月20日 • 亀山 絵里
食は、私たちが生きる上で欠かすことのできないものです。私たちは、食事をすることで生きるために必要な栄養やカロリーを摂取するとともに、食を通して他者と関わっています。母はいつも、「食事を美味しく感じられるのは有り難いこと。いつか味がわからなくなる日が来たらとても寂しいわ」と言っていました。そしてこの言葉は、日本に住む祖母が、味付けがうまくできなくなり、夫のために食事を作る喜びを失い、料理をしなくなったと聞かされた私の心に、どっと押し寄せてきました。私は、弟たちと私が日本へ帰国…
NIKKEIと料理文化
2012年9月18日 • 山本 剛郎
以下では日本食の特質について考える。その意図は、NIKKEIの人たちが日本食について日頃イメージし・思っていることと、以下で指摘することとの間に共通点・共有部分があるか、ないか、また、たとえそれらがなくともNIKKEIの人たちの賛同・納得が得られる部分があるか、ないか、を考えること、にある。さらに言えば、そうした結果に至るのは何故なのかを考えてみたいからである。そうするなかで、NIKKEIの人たちの、ひいては世界中の多くの人たちの、日本食についての理解や認識が深まるのではな…
ブラジルのおかきと“ウメボシ”
2012年9月10日 • 木村 直美
もう30年ほど前のこと。夫の赴任に伴って思いもかけずブラジルに住むことになった。当時はサッカーが今のように日本では盛んでもなく、日本でのブラジルの情報は極めて少なかった。私自身、コーヒーとカーニバルの国としか認識しておらず、おまけに毎日カーニバルが行われていると思っていたくらいで、ブラジルへ行く前はただただ不安だったことを昨日のことのように懐かしく思い出す。 当時のブラジルは、日本製の食品が輸入禁止で、ブラジルでは簡単に手に入らなかった。スーツケースに忍ばせて持って行…
お寿司セラピー
2012年5月30日 • ジーン・オダ・モイ
ジョージ・タナカさんは、看護師に連れられ、ナースステーションへやって来ました。伏し目がちで無表情の彼は、足を引きずって廊下を歩いて来ました。私には、彼は実年齢の46歳より年をとっているようにも見えました。症例記録によると、ジョージは、1944年、当時の彼の勤務先の会社のあったイタリアのとある場所で爆撃を受け、酷い怪我を負い、今では頭蓋骨にスチール板が埋め込まれているということでした。 あれは、1968年9月、私が2年間のUCバークレー社会福祉大学院へ進学したばかりのことで…