ニッケイ物語 3—ニッケイ人の名前:太郎・ジョン・フアン・ジョアオ?
名前にはどんな意味があるのでしょう?このシリーズでは、名前の意味や起源など、日系人の名前(姓、名前、あだ名を含む)にまつわるこれまで語られることのなかったストーリーを紹介します。
このプロジェクトでは、ニマ会と編集委員に、それぞれお気に入り作品への投票と選考をお願いしました。お気に入り作品はこちらです!
選ばれたお気に入り作品は以下の通りです。
編集委員によるお気に入り作品:
- 日本語:
ブラジルで日系名を持つこと
キタハラ 高野 聡美 (著)
- 英語:
二つの文化から再発見した私の名前
ジェイミー・ツツセ (著)
- スペイン語:
同じ名前に戸惑う
ジミー・セイジ・アメミヤ・シウ (著)
- ポルトガル語:
もしもし、どちらに掛かっていますか?
クラウディオ・サンペイ (著)
ニマ会によるお気に入り作品:
- 星96個:
選ばれた名前
メアリー・スナダ (著)
このシリーズのストーリー
それはあなたがどこにいるかによる
2014年11月28日 • ユウジン・セキグチ
私は家族の中では長男です。私の名前であるユージンが選ばれたのは、漢字のヒロヒトがユージンとも発音できるからだと教えられました。日本語ではヒロヒトと発音され、中国語ではユージンと発音されます。しかし、中国語、日本語、英語の音声の違いにより、発音は正確ではありません。 裕仁という名前は日本の天皇のみが使用します。一般人が裕仁という名前を使用することは死刑で禁じられていますが、私の父は日本国外にいたため、その名前を使うことにしました。ヒロヒトを敬称として使うため、私はユージンとい…
私の名前って? ダイアナ、ケイコ、アンドウさん、ミセス・オノ、ダイアナさん、ダイアナおばさん???
2014年11月26日 • ダイアナ・ケイコ・アンドウ=オノ
現在50代の私は、思えば今まで何度も名前の変更を経験してきました。私はオレンジ郡に育ち、大学生になるまでダイアナ・ケイコ・アンドウとして知られていましたが、大学3年次に東京の早稲田大学に留学し、ケイコと呼ばれるようになりました。それは、1976年のことでした。この素晴らしい1年は、まぎれもなく私の人生の転機でした!日本の生活を体験できたことは、本当に幸せなことでした。私は、日本の伝統を心から愛し、私のミドルネームが日本名であることを誇りに思います。 その頃から私は、何度か…
千代の子
2014年11月24日 • チャンダ・イシサカ
私のミドルネームにまつわるストーリーは、幼い頃の私のプライドとプレッシャーとなっていました。チヨコという私のミドルネームは、父の母である私の祖母、千代子からつけられました。私が生まれる前、祖母は胃がんと闘っていました。私が生まれるまで生きようと努力しましたが、生まれる2、3ヶ月前、祖母は亡くなりました。両親は私に、家族がどんなに祖母の死を悲しみ、そして私が再び家族に幸せをもたらしたと話してくれました。両親の大好きな、私が赤ん坊だった頃の思い出は、私を連れて祖父の家に行き、祖…
日本名について
2014年11月21日 • ジョルジ・ナガオ
日本名の響きは、ブラジル人にとって、奇妙に聞こえる。最初の移住者は自分にもブラジル名を選んで、子どもにも「ガイジン1」の名前を付けた。こんな小話もある。一世の父親が息子に名前を付けるとき、友人が「アントニオかジョアオンかカルロスを提案するよ」と言うと、「提案する」というポルトガル語「sugiro」を名前だと思い、その3つのブラジル名を無視し、息子に「スジロウ」と名付けた。 私の友人シゲル・イエツグが新しい上司に自分の名前を何度言っても、上司は、どうしても聞き取れなかった。…
私の名前には何が込められているのか?大きな川とたくさんの家族の物語
2014年11月20日 • ローレン・オイカワ
ロリーンは私のファーストネームです。母が私の名前を選びました。母はその名前の響きが気に入ったのですが、典型的な綴りの「ローリーン」が気に入らなかったので、名前を変えたそうです。特にクラスでは、ほとんどの女の子がキャシー、スーザン、シンディといった名前だったので、馴染みのない名前でした。ほとんどの人はそれを男の子の名前だと思って、ローレンのように発音するか、女の子の名前だとわかっていてもローレンと発音していました。私の名字であるオイカワはさらに馴染みがなく、ほとんどの人は…
ユミになる
2014年11月18日 • ユミ・イワマ
私は、子供の頃から自分の名前が嫌いでした。「エイミー」に変えたいと思っていました。エイミーなら可愛いし、白人みたいだし、私はその両方になりたかったのです。友達もバービーもみんな白人で、私もお揃いがよかったのです。当時7歳だった私の、うずうずするような気持ちが思い出されます。私は、全身全霊をかけ、名前が変わるよう祈りました。両親に私の考えを打ち明けた時、2人が笑ったのは当然のことでした。 私は、4人兄弟の3番目として、1960年代、ニュージャージー郊外に生まれました。近くに…