インタビュー
チャンカイ文化を選んだ天野芳太郎
なぜ天野がそのチャンカイという文化を選んだかというと、偶然ですね、あの天野が、自分の休みの時にドライブをして、そのチャンカイという谷に入った時に、あるところで、そのチャンカイから掘り出された土器とかおびただしいその織物を、目にするんですね。 で、特に天野は日本人ですから、やっぱりヨーロッパの人たちよりもですね、織物っていうか、着るものに非常に関心があって、ま、天野の個人的な資質かもわかりませんけれども、そういうその織物のすばらしさに、非常に驚くんですね。
で、そのチャンカイの文化というものを、じゃあ調べてみると、意外なことに、本格的にチャンカイを研究している学者というのが、その当時ほとんどいない。ま、もっと極端なことを言うと、一人、二人の例外を除いては、全くあのチャンカイというものに関心を持たれていないということが分かったんです。 で、あの他の人がもうやっているとすれば、勉強してるとすれば、もう後塵を拝することになるわけですけれども、えー、天野は誰も本格的にそのチャンカイというものを勉強する人がいない。あるいはコレクションをしている人がいない。で、その比較的リマからアクセスのいいところなので、これぞその自分が天から与えられた、その大きなテーマだというふうに、彼は感じるんですね。 で、チャンカイという文化は、全くその当時のペルーのアカデミズムの中では、無視されていたその一地方文化を、それ以降、彼が死ぬまでの、その30年近くにわたってですね、研究に没頭し、その後の集大成がうちの天野博物館ということになるわけですが。
日付: 2007年5月7日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 西村 陽子
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター