インタビュー
立ち上がり、挑戦すること(英語)
(英語)私が何をしたかというと、インヨー郡の郡会議員に手紙を書き、史跡認定について一度会って話をしようと伝えたんです。するとインヨー郡新聞の記者から電話があり、ある郡会議員は私の手紙を床に投げつけ、「俺の目が黒いうちは、絶対にそうはさせない!」と言ったそうです。 それで私は、郡会議員全員が集合しているところへ出向きました。町には確か2つしかレストランがなかったはずです。私は中に入り、「誰がキース?」と聞きました。私は、記者からキース・ブライトが怒っていると聞いていました。私は、「こっちへ来て」とキースへ言い、外に連れ出しました。そして、「あなたが望んでいないことを教えて」と聞くと、「恥をかかされるのはご免だ」と言われました。 私がここで付け加えたいのは、州の史跡認定に向けて動き出した結果、人種間の衝突など、たくさんの争いが起こったということです。この取り組みは、議会決定や法律の制定といった、州としての取り決めが必要なものではありませんでした。任務の委託であって、政府からの友好的アプローチを受けて動き出したのです。しかしながら、そのやり方は、多くの亀裂や日系人に対する敵意を招くこととなりました。そんな背景があったことも言及しておきたいと思います。 私は、キースや皆に集合してもらい、こう聞きました。「あなた方が何を望んでいないのかを教えて。」すると彼は、「人種間の闘争を持ち込みたくないし、我々が皆の中にある敵意を受け止めることもできない」と言いました。「では、皆さんに必要なものは何?」とたずね、私はこう続けました。「経済発展、観光客がここには必要なんじゃないですか。この町で、ガスを買い、モーテルに泊まり、食事をしていってくれる人が必要ですよね。この史跡は、このような人々を連れてくるんです。ここには他に何がありますか?採鉱?釣りもできるかしら?」キースは素晴らしい人でした。「よし、じゃあ取りかかるか」彼はそう言ってくれたのです。 キースには助けられました。私には市長や民主党支持者とのつながりがありましたが、キースは、インヨー群の「ミスター共和党員」でした。
日付: 2013年7月17日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ショーン・ハマモト
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association