https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1348/
新一世実業家 (1927-2016年)
(英語)渡米してから約50年間仕事をしていますが、たくさんのことを学びました。間違いもおかしました。いくつかの成功もありましたが、たくさんの失敗もありました。
過去を振り返り考えると、これは息子にも言っていることですが、僕は人生を通し、正直であろうと努めてきました。それは、僕が1番大切にしている信条です。他人をあざむくことのないよう、ただ正直に、ひたむきに一生懸命働き、努力する。これが僕の人生哲学です。皆さんにも同じように生きてほしいと思います。一方で、僕はこの50年の間に、誰かにだまされたり嘘をつかれたり裏切られたりして大金を失ったこともあります。でもそれは、自分を守る術を持たなかった僕のせいです。将来人にだまされることがあっても、人をだましてはいけません。正直に生きるべきです。
これが、僕が1番大切にしている信条です。僕は大金を失いましたが、快適な生活を送っていますし、人に対して恥じることも借りもありません。税金もきちんと払っています。何一つ後ろめたいことも恥ずかしいこともありません。最高の、気持ちの良い人生というのはそういうものですよね?今、僕は楽しく生きていますよ。
健康のことは自分ではどうしようもありませんが、健康で正直に生きられれば、それがベストです。不正直はいけません。不誠実なことはせず、できるだけ純粋に人生と向き合い、仕事を続けること。働くこと。そうすれば、多くを求めすぎることもありません。これが僕の考えです。
そして、全ての若い人たちにもそうあってほしいと思います。どんな職種でも同じです。正直に、平穏無事でいられるよう務めればそういう人生になるし、全世界がそうなります。ならない訳はないと思いますよ。でも、成功するために急ぎ過ぎたり、もっと成功したい、もっとお金がほしい、もっと楽しみたい、と求め続けると、トラブルに繋がります。自分のペースで、心地よいペースで仕事を続ける。それが最良の生き方だと僕は思います。もっと良い生き方が他にあるかもしれませんが、僕はこのやり方しか知りません。僕はそのように生きてきました。
日付: 2012年2月2日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: クリス・コマイ、ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
ハルノリ・オダさんは、北海道で生まれ育ちましたが、第二次世界大戦後、日本を訪れていた日系二世の女性と出会い、結婚し、米国に移り住みました。オダさんはアメリカを嫌悪していましたが、妻のミチコさんに、アメリカの方がより多くの成功の機会があると説得され、そのチャンスにかけてみることにしました。英語力には限界があったものの、オダさんは、園芸業で身を起こすことに成功しました。彼は、この仕事であれば、自分の能力で最大限の成功を手にすることができるだろうと考えたのです。最終的に、オダさんは自らの園芸場の経営を始め、事業を拡大し、その後、オレンジ郡で不動産開発業者として大成しました。オダ氏は、2016年12月14日、91歳で亡くなりました。(2016年12月)
米国での最初の仕事
一世実業家(1900-2005)
ビジネスでの苦い経験
東京の会社が焼失
父方と母方の家族関係 (英語)
(1926 - 2012) 文化人類学者。学問として民族研究学科を設立した第1人者
FOB - 新参者 (英語)
ハワイ生まれの在日日系人。YMCAの英語教師。
ハワイへ再移住 (英語)
日本人移民の衣服専門家・研究者
写真花嫁と「仮夫婦」 (英語)
渡日に対する決断に祖母の影響(英語)
日本在住30年以上の日系アメリカ人陶芸家。(1942年生)
日本の印象(英語)
「アメリカ生まれの日本人」・元ビジネスマン。(1935年生)
広島県の学校にいた帰米のクラスメート達(英語)
カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)
渡米の理由
太鼓奏者。南カリフォルニアで5つの太鼓グループを結成(1949-2019年)
渡米後の祖母の差別体験(英語)
日系アメリカ人画家、版画家、教授。(1939年生)
条約商人としてアメリカへ入国した母(英語)
日系アメリカ人二世。第二次大戦中に自主的に日本へ移住。(1927年生)
両親がカナダへ渡航した理由(英語)
第二次大戦中にスロカンに収容。日系カナダ人コミュニティのアクティブメンバー (1918-2004)
フレデリック・ヨシヒデ・ササキの家族構成(英語)
カナダの一世ビジネスマン(1918年生)