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連邦控訴裁判所での職に任命された初の日系アメリカ人(1934年生)
(英語)法科大学院に通い始めたのが1958年で、卒業が1961年でした。なのでもう50周年を迎えたことになります。ハーバードを知っていますか?国で最も大きい大学のひとつです。ハーバード大学法科学院はクラス全体で500人以上もの生徒がいました。500名のクラスの中で、3人の日系アメリカ人、私とハワイ出身の男子学生2人、そして韓国人の女性が1人いたと思います。500人のうちアジア人が4人。1パーセントにも満ちません。当時は全く異なっていたのです。
日付: 2014年7月2日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: 加藤 さくら
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター; Japanese American Bar Association
カリフォルニア州サンタマリアで生まれる。アツシ・ウォーレス・タシマ判事は、日系アメリカ人としては始めて、アジア系アメリカ人としては3人目の連邦控訴裁判官となった。タシマ氏は移民の一世のもとに生まれ、幼少期の3年間をアリゾナ州ポストンにある強制収容所で過ごす。タシマ氏が1958年にハーバード大学法科大学院に入学したとき、ハーバードにいたアジア系アメリカ人は4名だけであった。その後も、タシマ氏は連邦判事として34年の長い経歴をリードし続けてきた。1980年、カーター大統領によってカリフォルニアの中心地区連邦地方裁判所判事に任命。合衆国連邦地方裁判所に15年務めた後、クリントン大統領がタシマ氏を、ウエストコーストの九つの州を管轄する第九巡回区連邦控訴裁判所に昇進させた。2004年、タシマ氏はシニアの地位となり、現在カリフォルニア州パサデナにある第9巡回パサデナ裁判所にて判事を務めている。(2014年8月)
法律への最初の興味
(1957年生まれ) ハワイ州最高裁判所判事。