ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1465/

戦後母の元に帰る(英語)

(英語)戦地には1年以上いました。家に帰れるのは本当にうれしかった。私がどういう状況をくぐり抜けてきたか、母にはまだ伝えていませんでした。何の問題もないとだけ伝えていました。怪我もなく無事に戻った私を見て母はとても喜び、私の帰還をようやく信じることができたようです。そんな状況でしたから母は私の話など聞いていなかったと思います。


第442連隊戦闘団 軍隊 (armed forces) 家族 軍隊 戦後 退役軍人 (retired military personnel) アメリカ陸軍 退役軍人 第二次世界大戦

日付: 2015年1月3日

場所: 米国、カリフォルニア州

インタビュアー: リリー・アン・Y・ウェルティ・タマイ

提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター

語り手のプロフィール

ススム・“スス”・イトウ氏は、日本人移民のソウヘイとヒサヨ夫妻の子として1919年カリフォルニア州ストックトンで生まれました。イトウ家は、コミュニティの多くの日系アメリカ人と同様に小作農としてセロリやテンサイ、アスパラを作り生計を立てていました。スス・イトウは慎ましい暮らしの中で育ちました。

1940年、イトウ氏はアメリカが第二次世界大戦に参戦する前に21歳で徴兵されました。最初はカリフォルニア州リバーサイド近くのハーン基地で需品運搬用トラックや専用車の維持を行う多人種混合ユニットに配属されました。戦時中は人種隔離部隊である第442連隊戦闘団傘下の第552砲兵大隊に所属し、砲兵C中隊で中尉を務めました。その間家族はアーカンソー州ローワー収容所に強制収容されていました。第二次世界大戦後、イトウ氏は復員兵援護法を利用し大学で生物を学び、生物学と胎生学で博士号を取得しました。イトウ氏は自身の研究分野の先駆者となり、1960年にはハーバード大学医学部で教職に就き、1991年以来名誉教授を務めています。

イトウ氏は、2015年9月、96歳で亡くなりました。(2015年9月)

ジョージ・カズハル・ナガヌマ

クリスタルシティの雷

(1938年生まれ)クリスタルシティに収容されていた日系ペルー人

カズム・ナガヌマ

妹のキヨは彼にとって第二の母親のような存在だった

クリスタル・シティに収容された日系ペルー人(1942年生)

ミア・ヤマモト

父親の影響

(1943年生まれ) 日系アメリカ人トランスジェンダー弁護士

二宮 正人

奥様とのなれそめ

サンパウロ大学法学部博士教授、弁護士、翻訳家(1948年生)

レイコ・T・サカタ

親の結婚

(1939年生まれ) 戦時中に家族とともに自発的にユタ州ソルトレイクシティに移住した実業家。