https://www.discovernikkei.org/ja/interviews/clips/1596/
ハワイ生まれの元銀行幹部職員(1952年生)
(英語)祖父がホノルルに戻ってきたとき、祖母は彼と一緒に自主的に避難するよう申請しました。当時、ハワイから1300人が米政府に検挙され、強制収容所に送られました。更に1000人が家族とともに自発的に加わったので、総計2300人が収容所へ行きました。とにかく、12月末に、祖父は単独で船に乗り、祖母と子どもたちは別の船に乗って、彼らはサンフランシスコで合流しました。このあたりがはっきりと分かりません。博物館の資料室で記録を見てみると祖父はツールレイクで収容されたと書いてあるのですが、彼がツールレイクにいたというのは聞いたことありませんでした。
私の叔母は彼らのアーカンソーのジェロームに電車で行かなければならなかった話を伝えています。電車はみな東海岸から西に向かって走っていたので、西方向行きの電車が通るたびに、線路から外れて電車が通過するのを待たなければならなかったと聞きました。普通なら3日ほどの旅が一週間かかったそうです。叔母が言うには、それまで一度も泣いたのを見たことがなかった彼女の父が、常に涙を浮かべていたそうです。しかし、彼は自分の子供達に日本は愚かで、戦争でアメリカに勝てるわけがなく、世界でアメリカが一番の国だと信じるよう言い聞かせていたそうです。この話を聞くと胸が痛みます。
日付: 2018年4月25日
場所: 米国、カリフォルニア州
インタビュアー: ジョン・エサキ
提供: 全米日系人博物館、ワタセ・メディア・アーツ・センター
ロバート・フジオカ氏は1952年にハワイのホノルルで生まれた。ミシガン大学に進学し学士号を取得した後、ハワイ大学でMBAを取得。1974年以来銀行業界に携わり、現在は全米日系アメリカ人博物館理事会の副会長を務めるほか、Clarence T.C. Ching FoundationとFirst Hawaiian Bank Foundationでも理事を務めている。(2018年11月)
二世兵士への絵葉書(英語)
公民権運動の政治活動家(1922年-2014年)
隠蔽されたキャンプでの出来事(英語)
収容所のポジティブな側面(英語)
一世と二世の一斉検挙(英語)
父に教えられた収容所の写真の重要性(英語)
写真家・ビジネスマン。
アメリカのイメージ(英語)
ハワイ出身の三世。教師・ビジネスウーマンとして日本在住。
真珠湾攻撃が家族に与えた影響(英語)
作家(1934年生)
収容所での最初の印象 (英語)
甥との対話から生まれた小説 (英語)
出生地のもつ意義に気づいて (英語)
太鼓・尺八奏者(1944生)
日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)
カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)
収容所の中で才能を磨く (英語)
アーカンソー州にあるジェローム転住センターへ汽車による移動(英語)
日本軍に包囲されたときのメリル・マラウダー部隊の状況(英語)
収容所の話ではなく人間ドラマ(英語)