ディスカバー・ニッケイ

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インタビュー

アン・K・ナカムラ (中村アン貴代美)

ハワイ出身の三世。教師・ビジネスウーマンとして日本在住。

アメリカのイメージ(英語)

(英語)日本人にとって、アメリカ人といえば白人もしくはアジア人ではないアメリカ人なんです。だからアジア系アメリカ人、特に日系アメリカ人に会った場合、彼らが何人なのか、自分たちの持つ人種枠のどこにあてはめればいいのかとまどってしまうようです。なので、おそらく私と出会ったことで、多くの日本人たちはそういう考えを変えたと思います。でも、そういうことを通して私自身が日本人でもありアメリカ人でもあることに気付いたんです。私は日本人かアメリカ人のどちらかではなくて両方なんです。多くの日本人は「それではあなたの母親がアメリカ人ってことなんですか?」って聞くんですよ。「いいえ、私の父もアメリカ人なんですよ。」と答えると、彼らはびっくりするんです。「でも、あなたは日本人の名前を持ってますよね?」「ええ、父も母も人種的には日本人だけど、国籍はアメリカなんです。両親は生まれも育ちもアメリカですから。」と、こういうふうにして会話が広がっていくんです。 あと、いろいろな意味で日本人とは対照的で、自分が西洋人だと感じることもあるんです。とはいえ、ハワイで生まれ育った人にとって、日本人でもありアメリカ人でもあることはあまり珍しいことではないと思います。日本語を勉強し、日本のある習慣を身につけることは、普通のことなんです。しかし、ここに住む日本人にとってみれば、珍しいことなんです。「どうやって両方の文化も実践するのか?」というような感じですね。両方の文化が共存しないことが、(日本では)一般的なんです。ある時、生徒もしくは先生でさえ「あなたがハーフなのはあなたの両親のどちら側からきているのですか?」と聞いてきたので、私はこう言ったんです。「いいえ、私はハーフではありませんよ。私はアメリカ国籍なので、100%アメリカ人です。でも、私は100パーセント日本人でもあります。というのも、私の祖父母はみんな、もとは日本出身ですから。だから、私はハーフではなく、むしろアメリカ人でありながら日本人でもある200パーセントの人だと思います。」日本人にとって、その答えは全く別の概念だと思います。


Finding Home(映画) ハワイ アイデンティティ アメリカ合衆国

日付: 2003年11月8日

場所: 日本、徳島県

インタビュアー: アート・ノムラ

提供: アート・ノムラ、『ファインディング・ホーム』

語り手のプロフィール

アン・ナカムラ氏は、ハワイ育ちの在日日系アメリカ人三世です。彼女は40代半ばの独身女性で、日本において教育・ビジネスの両分野でキャリアを築き上げたユニークな経験を持っています。インタビューの中で、以前に比べ日本人女性の婚期が遅くなり、独身をとおす女性も増えていることを指摘し、このような傾向は専門職へ就いている女性に多く見られると述べています。これは自分のような働く独身女性を受け入れる社会体制が日本で発展したことの結果であると見ています。以前は教師であれば女性でも結婚後に仕事を続けることは可能でしたが、ビジネスの分野では結婚を機に退職することが一般的でした。彼女は、「働く独身女性の模範」としてよりもむしろ、伝統に縛られない女性として日本社会に受け入れられていると考えています。

また、ハワイにいた頃は西洋とアジアの価値観や行動の違いに戸惑いを感じたことがあったようですが、日本で生活することによってこの違いを受け入れることができるようになったそうです。彼女は自分の家族がいるハワイへ帰りたいと思う反面、自分の仕事を日本で続けたいという相反する気持ちを持っています。日本では以前に比べより多くの外国人を見かけるようになり、「外人」の受け入れに対してもより寛大になっています。現在(2003年)、日本在住15年。自分でもこれほど長く日本で生活することになるとは想像していなかったようです。彼女は初め日系ビザで日本に滞在していましたが、現在は永住権を持っています。(2003年11月8日)

Wayne Shigeto Yokoyama
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ウェイン・ヨコヤマ

雑誌社での就職(英語)

南カリフォルニア出身の在日日系人(1948年生)

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Wally Kaname Yonamine
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与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

両親は沖縄出身者と内地出身者の結婚反対の風潮を体験 (英語)

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

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Wally Kaname Yonamine
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与那嶺要(ウォーリー・ヨナミネ)

10代のサトウキビ畑で働いた経験が、スポーツ選手としてのトレーニングに役立つ

沖縄出身の両親の持つ2世。38年間に渡り、日本の野球界で選手・コーチ・スカウト・マネージャーとして活躍。(1925年生)

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Roy H. Matsumoto
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ロイ・H・マツモト

ニックネーム(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

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Roy H. Matsumoto
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ロイ・H・マツモト

日本との戦争に対する何ともいえない感情(英語)

カリフォルニア出身の二世。第2次大戦中は、MIS(陸軍情報部)としてメリル襲撃隊にて活躍。(1913年生)

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Richard Kosaki
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リチャード・コサキ

ワイキキで育った経験(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

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Peter Mizuki
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ピーター・ミズキ

剣道の修行のために訪れた日本 (英語)

在日三世・剣道家

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Richard Kosaki
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リチャード・コサキ

真珠湾攻撃の後の疑惑(英語)

ハワイ出身の政治学者・教育者(1924年生)

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Roy Hirabayashi
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ロイ・ヒラバヤシ

太鼓演奏の哲学(英語)

サンノゼ太鼓の共同設立者・支配人 (1951年生)

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Jero  (Jerome Charles White Jr.)
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ジェロ (ジェローム・チャールズ・ホワイト Jr.)

母と祖母を見て学んだ日本の伝統(英語)

演歌歌手(1981年生)

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Peter Mizuki
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ピーター・ミズキ

米国国籍を持つ日本人の妻 (英語)

在日三世・剣道家

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Mónica Kogiso
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モニカ・小木曽

日本文化の継承-日本語学校(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

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Peter Mizuki
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ピーター・ミズキ

目立ちたくない外国人(英語)

在日三世・剣道家

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Frank Yamasaki
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フランク・ヤマサキ

人類全体への思いやり(英語)

ワシントン州出身の二世。戦時中徴兵拒否。(1923年生)

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Mónica Kogiso
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モニカ・小木曽

アイデンティティ・クライシス(スペイン語)

(1969年生) アルゼンチン日系センターの前会長

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